今年も菩提僊那継承の事業が開催されました |
菩提僊那は記録史上、日本に初めて来たインド人であり、開眼導師をつとめた功績は大きなものです。2012年、インド政府は日印国交樹立60周年の記念催事として菩提僊那を1276年の時を経て継承しました。その後も毎年、インド大使館や東大寺にて開催して参りました。2015年にはインド大使館の協力のもと、インドで制作された菩提僊那像が同催事で公開され、その後もインド大使館をはじめ全国各地で公開されました。 2018年の菩提僊那継承事業は東大寺改修の為、菩提僊那が滞在して居た大安寺で5月13日に開催しました。この事業にインド政府ICCR はオリッシー舞踊団(ソナリ・モハパトラ女史)を派遣しました。 |
もっと知ろう、 〜日本に初めて来たインド人、婆羅門僧菩提僊那を継承する〜 Learn More ~Brahmin monk Bodhisena, the First Indian Came to Japan ~ |
◆2018年5月13日 |
【菩提僊那像制作の経緯 】 |
【東大寺の大仏開眼導師をつとめた菩提僊那】 菩提僊那は遣唐使の要請で仏教の教えを日本に伝えるため、一度は暴雨に遭い引き返しましたが、天平8年(736年)5月18日に二度目の航海を経て太宰府に到着しました。菩提僊那は当時、東大寺と並び大寺院であった大安寺においてサンスクリット語をはじめ、仏教の教えを日本僧に伝え、天平勝宝3年(751年)には僧正という非常に高い位に就きました。 聖武天皇の詔により天平15年(745年)から現在地での建立が始まった東大寺盧舎那仏の開眼法会は、天平勝宝4年(752年)4月9日に執り行われました。菩提僊那は聖武上皇の勅書を受け、上皇の代わりに開眼導師をつとめました。開眼の筆には縹(はなだ)色の縷(る)(全長198m)が結ばれ、会場に集う人々がこの縷を手に持ち、開眼の瞬間に結縁しました。1万人を数える僧侶も参加したと伝えられます。 大仏を開眼した菩提僊那は、東大寺では大仏建立発願者である聖武天皇、大仏建立の歓進をした行基、東大寺初代別当の良弁と共に東大寺「四聖」と呼ばれ称えられています。 大仏を含め東大寺の建立には当時の日本の人口の半分ほどの人が延べで関わったと言われています。盛大な開眼の催事は現代と比較するならば、オリンピックの数十倍と言えるのではないでしょうか。その導師をつとめたインド僧の生涯は、私たち現代人にとって大きな感動を与えます。 |
【奉納公演】 今年で7年目となる菩提僊那継承催事 |
【メッセージ】
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[Message]
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【過去の菩提僊那継承事業】 |
【日本に於けるインド祭2014-2015】 |