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◆美術館復旧日記◆
(by Stuff R) |
最終更新日:2005.4.29
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舞踊団受け入れに向けて…ざくざく作業
(2005年4月10日〜14日) |
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風呂場が着々と
(2005年4月9日) |
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再び水が、、、出ない!
(2005年4月8日) |
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それぞれの道…
(2005年4月7日) |
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資源ゴミが消えてすっきり
(2005年4月5日〜4月6日) |
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絵画の引っ越し
(2005年4月5日) |
館長は夕方からのインド大使館主催のさくらパーティ(インド独立記念日が8月15日で日本の終戦記念日にあたるため、その日に開催することを止め、日本人が桜が好きだということで、桜の開花に合わせて開催されるインド大使館にとって最も重要なパーティ)に出席のため、昼食後頭を切り換えて東京に向かう。 |
ゴミ出しですっきり
(2005年4月2日〜4月3日) |
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ゴミの分別
(2005年3月31日) |
本日は一冬分の作業ゴミの分別を行い、マイクロに積む作業をNさん、Kさん、松井、Mnで行いました。土壁の入っている100個位の土嚢袋は詰めた人で重さが違い、さすがに男性が詰めたと思われるものはとても重たく、雪のためもありますが玄関にぴったり寄せられないマイクロに積むのは力のいる作業でした。しかしかなりの場所を占めていたゴミを美術館から出せて広くなり、作業がし易くなりました。 |
奈良さん、來山さん再び
(2005年3月29日〜4月1日) |
29日、二人は都合をつけて7日までの予定で再びボランティアに来てくださいました。ありがたいです。天気は雪でお出迎え。翌30日も雪でした。30〜4/1にかけて二人の力によって台所の壁にきれいにペンキが塗られました。台所はそれなりな広さで、物や食器も多く、それらを移動してから、壁を掃除して取りかからなければなりません。調理テーブルを別の部屋へ動かしてスペースを作ってから、壁に面して置かれている物を移動。冷蔵庫、1間幅の2段重ねの重い食器戸棚(中の食器等をすべて移動した上で)、別の棚、他3段の棚も外して動かしました。換気扇周りの長年にわたる油汚れも削り取ろうとしてくれましたが難しく、そこは新たにベニヤをMnにはってもらったり、壁を修復してもらったりしてからペンキを塗りました。お陰様で明るい空間が生まれました。 |
高位置の壁落とし、そして…
(2005年3月27日〜3月28日) |
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絵画の引っ越しに向けて
(2005年3月26日) |
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おかえりなさい、マイクロバス
(2005年3月24日) |
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山の中腹へ!いざ立ち向かわん!
(2005年3月16日〜3月24) |
雪はだいぶしただまってきて、大池正面の山の急な斜面の一番に雪崩が起きる所は落ち、雪原をカンジキなしでもぐりながらもなんとか歩けるようになってきました。館長とMnが地震後崩れた斜面(新しく水道管を伏せた斜面)の方を探索した時に、木の根元付近の土が一部出ている近くで新しく伏せた水道管を発見しました。土砂で管が潰されてとか外れたとかで水は出ないだろうと思っていたところが、管を切ったら水が少しながらも一定量流れ出てきた。その管は生きている!ということで、ともかく水源を探し出すことを館長は決定した。 3月16日、山の下から見ていると、あそこも、あっちも、そこも、今にも雪崩が起きそうで、心配で、できれば行かないでほしいと言葉に出しても、「下から見ると崩れてきそうだけど、実際上は大丈夫だから、危ないところは行かないから」と館長は何度も言いながら、Mnを助手に山へ向かった。今にも壊れそうな音をたてて、黒煙を出しながら、雪山を切り崩して足場を作りながらユンボは上って行きました。3mの山の雪の下19日にはついに小水槽発見!水源から引っ張っていると思われる水道管も見つけだし、少しながら水がきていることが確認できた。21、22日には道路脇の段切りされた山の中腹にある貯水槽を探しだし、掃除を行い、水源からの水道管に直接山の新管がジョイントされ、貯水槽へ水を引っ張った。24日には月見亭の閉めていた水栓を開栓。美術館を含め各家まだ完全に復旧とまではいきませんが、水の出が悪くなってから83日、水が完全に出なくなってから55日振りに水が出ることに。<<詳細はMn君の水道日誌をご覧いただければと思います>>素人ながら本当によく頑張ってくれました。蛇口をひねると水が出る、ただそれだけなのに何てありがたいのでしょう。 |
春めいて…
(2005年3月16日〜3月18) |
3月に入り雪も落ちついてくると、雪崩危険箇所の雪庇落としが始まった。道路の重要度によって、例えば国道、県道、市道へと順番に行われてくるようだ。町から大池に来る道路も隣の菅沼までは県道なので何カ所か行われていた。山を切り崩して道路ができているので、必然的に雪がたくさん積もれば道路へ雪崩が落ちることになるのですが、特に危険な箇所はそうならないように山を段切り(階段のように)してあって、場所によっては段切りされた上に雪崩防止柵が施され、一気に雪崩れてこないようになっている。豪雪だったこの冬の降り積もった山の雪は、その雪崩防止柵を乗り越えて迫ってきていたので、車で町まで行くときはいつ雪崩れてくるか心配しながら、様子を見ながら通っていたので安心しました。18日には圧雪道になっていた大池の本村への道が開けられました!1軒住んでいらっしゃる孫吉さん(屋号)の家の前までで、そこから先の大森橋までの区間はまだ先になりそうです。 時々春めいた陽ざしが顔を出すと、屋根の雪が勢いよく溶け始め雨だれの音が響きます。道の両脇の雪壁も日に日に退いていき、道幅が少しずつ広くなっていきます。前から館長より、山の水源の位置を撮った写真があるだろうからそれを探して出してほしいと言われていた。地震後ボランティアの人たちが事務室を片づけてくださっていて写真類の位置が変わっている上に、何年か前の写真のため探すのに手間取ったが見つけ出した。隣の菅沼の道場で水をいただき、風呂桶に移し替え、節水の毎日で、復旧作業をするにも水が出ないのでは始まらないこともあって、水をなんとかしなければと館長の思いは一層強くなります。 |
少しずつ・・・
(2005年3月1日〜3月15) |
3メートルの雪に囲まれながらも、時に暖かい日があったり、また強い風とともに雪が舞ったり、それでも周りの杉の木々は遠目で木が茶色に見えるくらいに蕾をたくさんふくらませてきた(開花後の花粉が心配でもありますが、、、)。 佐藤が2日に休暇に入ってからは、Mn君怪我のため足にまだ力を入れられないので、ボランティアの奈良さん一人で奮闘し、取り外してある台所の流し台(4つ)の脇の油汚れ等、電動サンダーできれいに削ったり、スタッフ用玄関の片側壁や廊下、作業部屋に変身しつつある音楽室の壁などのパテ塗りや仕上げのペンキ塗り等を行い、スタッフ用玄関から美術館へ向かう廊下半分くらいまではとてもきれいになった。4日は2月にボランティアに来てくれた五十嵐さんが再び3泊4日で来てくださった。6日には京都から來山さんが1週間の予定でボランティアに来てくださった。雪掘り体験もあって、この冬最後の雪掘りをすることになった。(最後になって欲しい・・・)屋根には1回分の雪掘り分ほど雪はなかったのですが、完璧にきれいに雪下ろしをするというよりは、ある程度残しても大雑把に落としてあげることで屋根の痛みが少なくなり、雪解けも早くなるのである。あらかじめ館長がユンボで周りの雪をどかしておいたり、つまったところをどかしたりしながら、蓮沼の指導のもと女性パワー炸裂といったところ。お陰様で美術館本校舎を残し、体育館そして6軒すべて終了した。館長はその後、台所裏手から地震後ブルーシートを敷いて養生した駐車場及びヒマラヤ杉の付近までの広範囲にわたる崖崩れの危険か所の本格的な除雪を行った。雪掘りの度にある程度どかしていたが、降り積もった雪に加えて冬中の除雪車の押してきた雪の大きな山は崖崩れを早めるのではないかと思われる。その崖付近にまるでユンボ1台が上がれる土俵台にのっているような形になって、周りの雪を掘っては回転して崖に棄てる作業が3日間続いた。12日の來山さん、奈良さんの出発にあわせ、工具・道具置き場だった応接室を応接室として機能できるよう片付けを行った。平行して音楽室に棚を作る作業をMn君が行い、移動した工具・道具類がそこに納められていった。応接室の崩れた壁側は館長の意向もあってそのままの状態を残す形、事務室に隣り合う壁は出発ぎりぎりまでかけて奈良さんが白ペンキを塗ってくれてきれいになった。 |
↓以下1月下旬〜2月の復旧日記のまとめです↓
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1月下旬〜2月の復旧日記
(2005年3月5日) |
例年にない豪雪が降り続く大池の森では、雪掘り、水道問題解決に向けた作業を最優先としながらも、少しずつ美術館の復旧作業も平行して行われてきました。これもボランティアに来てくださった皆様の協力があってこその結果でした。なかにはお休みの度にお手伝いに来てくださったり、様子を気にかけて連絡をくださる方々も。また、頂いたお米や有機栽培の野菜、衣服など沢山の救援物資も、雪の深い冬場に大変助かりました。本当にありがとうございました。自然災害により計画通りに進まない復旧作業ですが、一日も早い美術館再開に向けこれからも進んで参りたいと思います。 雪が降り続ける中、連夜照明をつけての野外作業を行ったり、外気が入り込む美術館内での復旧作業等。なかなかまとめられなかった復旧日記を以下、期間を区切ってご紹介いたします。 |
再び…雪堀り
(2005年1月下旬) |
ボランティアに来てくれているI君が26日に出発するまでは、みんなで元教員住宅の風呂場のパテ、コーキング塗り、押入の壁落とし、石膏ボード貼り、ペンキ塗り、畳入れ、美術館の台所前の壁落とし、石膏ボード貼り等の作業を行いました。段々と皆手慣れた手つきになっているようで、素人でよくここまで出来るようになったなあ、とつい感心してしまう事もあります。 着々と進められている作業を一時中断し、25、26日は佐藤、Mn君、I君の3人の若いパワーで美術館を除く6軒の雪掘りを終わらせました。 |
絵画の引っ越し
(2005年1月28日) |
28日は長岡の県立近代美術館の協力により、音楽室に収蔵してあった絵を3月末まで預かっていただけることになり、学芸員4名が引き取りに来てくださいました。昨日までの雪からは想像もつかないほど素晴らしいお天気に恵まれ、久しぶりに青い空が見られました。 前日、館長は玄関前の除雪車が押して山になっていた雪をユンボでどかして玄関を開け、佐藤やMn君は美術館や廊下等の通路を塞いでいる物の移動を行い準備しました。 当日はお天気の中、2トン車2台に次々と絵画が納められていきました。トラックが無事に出発すると、早速絵のなくなった音楽室壁面の土壁を落とし、胴縁を入れていく。現在作業部屋となっている応接室を本来の「休憩室」へ復旧していく為、この音楽室を作業部屋として使っていく予定です。
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天気は一転して・・・
(2005年1月29日) |
29日はもう天気が崩れ始めた。またしても大雪。降り方が半端じゃないのであれよあれよと積もっていきます。作業は昨日に引き続き、音楽室の石膏ボード貼りやパテ塗りを着々と進めていきます。 一方館長はついに水の出が悪くなった状態を改善しようとバイパスのホースを探そうと雪の山をユンボで掘り始めました。また、小堀さんが2泊3日で手伝いに来てくださいました。
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水問題
(2005年1月29日〜2月17日) |
音楽室の作業を行いつつ、29日からは水のポリ管を探したり、ジョイントしたり、寒さで固くて縒りが戻らない太さ50mm長さ 30mの大蛇のような2層ポリ管と格闘したり、昼夜を問わず、大雪が降る中4mの雪での冷たい作業が続きました。ユンボのキャタピラ部分の雪がガチンガチンに凍ったために、作業のために出してあった電気のコードリールを避けようと雪の上を無理して、キャタピラが外れてしまうというアクシデントも起きました。直らないと水作業だけでなく、雪掘りにも支障が出るので館長は早く直そうと努力したのですが、結局専門家の方に来ていただきました。 2月10日〜16日には美術館、各家、倉庫、4トン車、幌トラック等の雪掘りがユンボとの共同作業で行われました。ここまで深く雪が積もると、とても3、4人の人力だけでは不可能。まずユンボで家の周りの雪をかき出し、屋根から下ろす雪の行き場を作らないといけません。それでも人の背よりも高い雪の行き場はすぐになくなってしまうので、またユンボで雪を動かします。ユンボでの作業を待つ間に汗が引いて体が一気に寒くなるのを何度も繰り返し、ようやく一つの家の雪堀りが終わります。今回はいかに雪深い年であるかを痛感させる雪堀りになりました。 12日から2泊3日で半田さんが手伝いに来てくださり、懸案の台所の外壁、そして内壁の壁板貼りを一人で終えてくださいました。お陰で外からの雪や風が入らない部屋になりました! 雪掘りと平行して水道作業も続く。バイパスから2層ポリ管を本管(やっとの思いで探して掘り出した管で、各家の配管がジョイントされているだろうと思われる)に直接ジョイントして水を引っぱろうとしたのですが、最後にバイパスにジョイントしようとして山からのポリ管を切断した際に、結局元の水源から水が殆どきていないことが明らかになった。驚きとともに落胆。水はバイパスの所までは来ているということが前提だったのだ。美術館や元教員住宅、月見亭にまで水をと考えて行ってきた作業を、とりあえずは月見亭だけでも生活用水が確保できるようにと考えをシフトした。たとえ少しの水でもポンプの力で引っ張れるかとも考え、配管したが水は来ず、結局月見亭の水栓を閉め、風呂桶340リットルに水を入れ、2層ポリ管を湯沸かし器に直接ジョイントしてポンプを使って家の中に水を流す方法にいきついた。15日には何年か前に水問題で不自由したときに購入してあった300リットルのポリタンクを出して、隣の菅沼の道場から水をわけてもらうことに。風呂桶に満たされた水は台所、洗面所、トイレにと流れた。17日振りに蛇口から水が出た。(雪の下の配管探しやジョイント、他、その後のお湯の配管の水漏れ、銅管の配管等について、詳しくはMn君の水道日誌をご覧いただければと思います。) |
灯油タンク倉庫の危機!
(2005年2月18日) |
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ユンボの存在感・・・
(2005年2月20日) |
雪掘りに大活躍したユンボは仕事量も多ければ、ミスをしてもまたダイナミック。バケットの爪は1本だけ長いのがついている。その1本の長い爪がまた、穴となって屋根に爪跡を残してくれる。少し天気が緩むと雪が融けて雨漏りとなる。元教員住宅、倉庫、ワルリーハウス、美術館本校舎と、簡単な箇所は佐藤一人で、大がかりな所は館長と佐藤とで修理にとりかかります。 しかし、何度も壊れかけ、いつ止まってしまってもおかしくないようなそのボロボロのユンボなしでは、この冬は乗り越えられなかったことは衆知の事実。雪の圧雪、雪堀り、雪で動かなくなった車を引っぱたり、水道管探しをしたりと、数えきれない程の仕事を館長と共にこなしてくれるのですから・・・あちこちで傷が増えても何も言えません。。。 さて、19日北海道から奈良さんが3週間くらいの滞在予定でボランティアに来てくださいました!また、20日には東京から五十嵐さんが3泊4日でボランティアに来てくださいました!雪も手伝って何だか重い空気の漂う美術館がとても明るくなったように思います。本当にありがとうございます。 |
初のけが人
(2005年2月21日) |
奈良さん五十嵐さんは美術館台所の水道管に巻き付けてある保温テープと保温用の発砲スチロールを全部剥がし、新たに凍結防止コードを巻き、さらに保温テープを巻く作業を行ってくださいました。 台所の床入れ、音楽室の石膏ボード貼り、スタッフ用玄関からの廊下左側(スパイス棚の反対側)、美術館への渡り廊下上部、スタッフ用玄関右側等の土壁落とし、胴縁を入れ石膏ボードが貼られた。パテ塗り、ペンキ塗りへと続く。そして教員住宅の風呂場のペンキ塗り。ボランティアの方々の協力により、ぐんぐんと作業が進んでいきます。 26日には再び屋内タンク貯蔵所から物を取り出す作業が館長、佐藤、蓮沼、Mn君によって行われました。 27日Mn君作業中丸ノコで足を切ってしまう。復旧作業を始めてから初めてけが人が出てしまった。大事には至らなかったが右膝上の近くの太腿を3カ所合計7針縫ったとのこと。彼はしばらく足を治療しつつ、水道日誌制作に専念することとなりました。
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↑以上1月下旬〜2月の復旧日記のまとめです↑
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お詫び
(2005年1月14日) |
復旧日記をお読み頂き、美術館復興過程を見守って下さっている方々に、このページを御覧いただけない状態が続いてしまったこと、大変申し訳なく思っております。ファイル損傷を無事修復し、美術館からのリアルタイムな報告として再度復旧日記を掲載していきたいと思っています。 |
新年スタート
(2005年1月2日〜1月23日) |
台所の柱入れ作業(館長談) 2月23日仮オープンに向けて、難関だった美術館台所の土台や柱(15cm角)を入れ替えた。問題だったのは、物置に続く台所角の柱が屋根に通じる1本柱で、シロアリによって弱っていた土台の柱が外に少し飛び出し、1本柱が土台の柱を少し潰して下がっていたこと。その柱を基礎の外側から長い12cm角材をあてがい、2m位の所で、外、内2枚の4.5mmの鉄板に2本の16mmのボルトでしっかりと固定。12cm角材をジャッキで上げた。(ジャッキの下に敷いた厚さ6cmほどのコンクリートの板も割れる程の圧力。)3tのジャッキで柱を上げていくと一本柱に近い所が下に下がったため、角度がついたために、外に飛び出していた1本柱が内側へ5cm近く入った(偶然!)。元の柱を取り去って、新たな柱を入れ込む。新しく設置したそれぞれの場所に鉄工所で穴を開けてもらった幅5cm位の鉄板を16mmのボルトで両面から押さえるように固定した。すべて初めてのことで、鉄板について言えば、最低この位のものはいるだろうと思う鉄板は十日町のホームセンターには無く、長岡まで人を送ったついでに本店規模のホームセンターで手に入れた。穴を開ける機械を購入して2枚鉄板を組み合わせて16mmの穴を開けようとしたが、数日間試みたが出来ずに断念。鉄工所にお願いをした。 新年になってからはボランティアの協力が殆ど得られない中、昨年からの続きの作業をスタッフだけで進めています。しかし予想外の大雪で復旧作業は大幅に遅れています。 9日の夜から雪が本格的に降りました。一晩で70cm、一日で1mを超え、屋根には2回から3回掘る分くらい一気に積もり、1/9より元教員住宅から2回目の雪掘り開始。家の周りの積雪に加え、降ろした雪の量が多く、低い屋根は雪で詰まって降ろせなくなりました。掘って飛ばさないと、雪降ろしができない。この地方で雪掘りと言うのはこのためです。ユンボで降ろした雪をどかしながら、雪の降ろせる場所を作りながら作業を進めます。降り出した雪は3mをゆうに超えました。そうなると除雪車が間に合わなくなります。除雪の方は昼のおにぎりも食べられなかったそうです。12日には十日町市では4年ぶりに豪雪対策本部が設置されました。池を囲む山からは底雪崩が起き、木がそのまま池の中に。真っ白な平らな池の雪原に突然木立が見えます。地震で緩んだ地盤。アルナーチャルプラデーシュの人たちとスタッフとで山沿いに伏せた水道も水が止まりました。地震による山崩れによって急斜面となり何度も雪崩が起きやすくなって潰されたのかもしれません。本村に行く途中の道が雪崩の危険で圧雪道となりました。その最初の2日間は館長がユンボで圧雪。区長でもある館長は市との交渉や本村に住む村人との対応に追われました。 美術館の雪掘りは、スタッフ総出で、Mnくん、保坂さん、半田さんの協力を得ながら、1/14〜1/17午前までを要しました。ユンボは大活躍です。というよりユンボなしでは無理といっていいでしょう。あらかじめ雪を降ろす場所を掘り、アームの届くギリギリまで屋根の雪の掘れるところは掘り、その上トヨを使って降ろした雪の山をどかすといった具合に。屋根に上がると、2m以上もあるその巨大な雪の壁に圧倒されました。凄まじい雪の量でした。しみじみこんな状況の時の地震でなくて本当によかったと思いました。 2回目の雪掘りが終わって一区切りついたところに飯田さんが1週間の予定で大池入りしてくれました。元教員住宅の修繕、畳入れなどが進められていきます。土曜日(1/23)には久住さんが1日手伝って下さり、ついに台所に窓が入りました!古い窓の再利用なので今までの窓よりずいぶんと大きいのですが、壁がないのにとても暖かい。次の壁板張りへと前進です。
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