◆インパールはミャンマーと国境を接するインド北東部マニプール州の州都。インパール作戦は、第二次世界大戦の中で最も凄惨な作戦の一つでした。その後のインド独立運動にも影響を与えたと言われています。1994年にはインパール中心部から南西に約20キロにある「レッドヒル」と呼ばれる丘の麓に旧厚生省が「インド平和記念碑」を建立しています。
戦後73年を経た今年6月22日に地元のマニプール観光協会の取り組みを日本財団が支援し、この地にインパール作戦75周年戦争の歴史を伝える平和資料館が開館しました。
これに合わせマニプール州政府は文化大臣を含む23名の舞踊を中心とする文化使節団をナマステ・インディア2019(9/28,29)に派遣します。その後舞踊団は全国で公演を行います。
今回は、マニプリ舞踊といえばこの踊りとも言われるラースリーラをはじめ、マニプール州の民俗舞踊、両面太鼓を持ったアクロバティックな踊り、タンタという武術芸術、ペーナという一弦琴の演奏や歌などが演じられます。
◆マニプリ舞踊
マニプリ舞踊は、北東インドのアッサム地方、ミャンマーとの国境に接するマニプル州の民族舞踊で、インドの6大古典舞踊の一つ。「マニプリ」は宝石という意味の言葉です。
マニプリ舞踊の優雅な、流れるような舞踊フォームは、他の古典インド舞踊には見られない美しさがあります。ノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖ラビンドラナート・タゴールが、この舞踊の美しさに感銘し、世界に紹介しました。
女性ダンサーの衣装もマニプリ舞踊の特徴の一つです。小さな鏡や宝石をちりばめた円筒形のスカート、その上からレースのフレアスカートを重ね、ダンサーの優雅な動きにあわせて、きらきらとさまざまな光が、美しい輝きを放ちます。
この踊りのスタイルは、円形の動きという意味の「ジャゴイ」からきています。古代の書籍には、それは太陽の周りをまわる惑星の動きにたとえられています。マニプリのメイテイ族の神話によりますと、神が地球を創生したとき、ただの塊だったものを7人のLainoorahs (訳不能)がそれらを硬くなめらかするために彼らの足で穏やかに踊りました。その日からマニプリの人々が踊る時には、地面を踏み鳴らしはせず、軽快なステップを踏みます。これらが、マニプリ舞踊の動きやダンスフォームの基礎にあると言われます。
マニプリ舞踊は、男性と女性の相異なる2つのダンスフォームによって構成されています。女性の踊り「ラースヤ」は、クリシュナの話の「ラーダーとクリシュナ」をテーマにしたソロまたは群舞です。男性の踊り「タンダヴァ」は、躍動的で太鼓のリズムにあわせて活発な動きのある踊りで、武術を基礎としています。
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