ガザールは10世紀にイランで生まれた。
そのインスピレーションは、ペルシャのqasidaからきており、そのqasidaの起源はアラビア。qasidaは、皇帝や貴族を称えている。Qasidaの一部はtashbibと呼ばれて切り離され、やがてそれはガザールとなった。Gasidaはしばしば一韻の中に100ほどの対句を入れるのに対して、がザールは大体7つの対句と決まっている。その短さと集中、そのテーマ的なバライティと暗示性の豊かさ、ガザールは、qasidaを超えてイランで詩歌の最も人気のある形となった。
ガザールはインドに12世紀以降、ムスリムの侵入と共に入ってきた。ムガールは、イランの詩歌、文学を含み、イランの文化と文明を持ち込んだ。ペルシャ人が、インドで、詩歌や文化の言語としてウルドゥーを取り入れたとき、ガザールは豊かに発展する機会を得ることになった。北インドでは、Amir Khusro(1253―1325)がガザールをはじめたといわれているが、南のデカンでは、最初の歩を進めていた。Mohammed Quli Qutab Shah, Wajhi, Hashi Nusrati , Waliなどが、パイオニアとしてあげられる。これらの中では、Wali Deccany(16??―1707)は、ウルドゥー詩歌の父といえるだろう。Waliはデリーを訪問。これはガザールの歴史的な訪問。Waliの詩歌は、-愛する北を美しい豊かなウルドゥー語で歌い、ペルシャの心をよみがえらせた。そしてガザールの本当の趣を詩歌にいれ、その後ガザールが急速に広まっていった。
ガザールは同じ韻律の中に短い詩。matlaと呼ばれる韻をふむ対句で始まる。はじめの対句の韻は続く2番目の最後に繰り返される。そのように韻のタイプは、AA,BA,CA,DA,etc.とあらわされる。韻の制約に加えて、ガザールは、radifの因習を守る。radifは、最初の一行の一部・・・2,3語以上から成っていない・・・すぐに先行する韻・・・最後の言葉は最初の対句の2番目の行の中に、その類似性を持つ韻がなければならない。そして、詩全体に交互に。ガザールのはじめの対句は代表する対句。それが詩のムード、トーンを決める。それに対する評価を用意している。ガザールの最終の対句には詩人のペンネームがしばしば入る。その場合、より個人的な、トーンと意味合いとなる。ここには詩人が、自分の心の状態、宗教心、愛する人への祈り、詩的に自己を称えて楽しむ。
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