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松井さんの地震レポート


 その日は、横浜の山下公園に送る舞踊団21人分の昼と夕食用のカレーを作らなければならない上、午前中は入館者も多く、その上館長より急きょ山下公園にワルリーの描き手一人を派遣してくれるよう電話が入り、そのアレンジにバタバタとしていた。一人で東京駅まで行けるのは言葉の問題もあってゴルカナさんの方がいいだろうということになって、準備を進めた。遠路訪れてくれたIEOの佐藤さんご一家にゆっくりとご挨拶もできぬまま、ゴルカナさんを美佐島駅まで送った。

 戻ってカレー作りにとりかかり、昼食を済ませ、今度は友達の家に遊びに行く息子のむんなを町まで送った。戻ってカレー作りに再びとりかかり、なんとか美味しく出来上がった。作り終えて、ジプロップに入れたダルを冷蔵庫に入れ、かたやジプロップに入れたサブジを台所のボールに入れて冷やして、一息ついた時にむんなから迎えに来てほしいという電話がきた。送った時には6時半頃と言っていたけれど、6時位に出てもいいかなと思ったので、パッキングして出るよと言った。

 普段使っている乗用車のラジオが使えず不便だったので、自分の携帯用ラジオを車に置いておこうと常々思っていた。いつもあわてて乗り込むので忘れてしまい、今日こそは準備して持っていこうとしていた。時間を見るために応接室のテレビをつけ、ラジオに電池を入れ、時刻を合わせ、チューニングしてNHK第1とFM長野をメモリーに入れ、机に置いた。

 普通なら事務室で書くのに、バックも側に置き、宅急便の宛名をそこで書いた。郵便番号を教えてもらっていなかったので、郵便番号簿を持ってきて調べたけれど、山下公園だけでは分からず、後でもいいやと思って、そろそろパッキングをしないといけないなぁと思ってテレビを見ると5時56分だった。とその時に、応接室の部屋の上角(隣り合う事務室の方)がビシッと鳴った。「あっ!地震だ」と瞬間的に思い、来るなと思った。ビシッと鳴ったと同時に「バチッ」とテレビが消え、電気が落ちた。電気が落ちた瞬間にグラグラッと揺れがきてしまった。早く避難経路を確保しなければと思う間もなく、ガタガタガタガタッ、ドッドッドッドッと一気に建物が唸る。激しい揺れで、かろうじてドアの方に4、5歩向かったけれど、とにかくドアが歪んでも出られるように、バンとドアを開け、閉まらないようにドア枠を仁王立ちして押さえている感じ。低重音の機関銃のような激しい音と揺れで目の前しか見られない。壁の粉が雨のように降っている。上からぱらぱら壁の破片が頭に当たる。激しく音を立てて揺れて崩れていく建物の気配に、うわぁー助けてー、どうなっちゃうのー、こんなの地震じゃない、ただごとじゃない、いつ止まるの?と思った。長い揺れだった。おさまってすぐ外へ出ようとしたが、このまま出たんじゃ駄目だと思い後ろを振り向いて、机の上にあるバックとラジオだけは、それだけは取らなきゃと思い、走ってバックとラジオを手にした。玄関の戸を開けた記憶はないので、玄関の戸はもう飛んでいたと思う。何を履いて出たらいいのか一瞬悩んで、結局長靴だろうと思い、下駄箱の中から長靴を取り出し、ガタガタ震える心を落ち着かせながら履いて外に出た。

 外に出て、「あっ、シルバー」と思い、ワイヤーをたくし寄せたら途中で切れていた。玄関に繋いでいたが、たぶん勢い余って切れたんだと思う。しかしワルリーの描き手のサダシがどうなっているか、とにかく早く行かなきゃと思い、向かった。グランドを横切って、ともかくサダシに何かあったら本当に大変だと思って、どうしようと思いながら走った。犬のシルバーもいないけど彼は動物だからなんとかなるだろうと思った。坂道を上ろうとしたときにシルバーのネームプレートが鳴るチャリンチャリンという音が聞こえた。暗くなっていて見えないので「シルバー」「シルバー」と2回ほど呼んだら次第に音が近くなってきた。まだおさまらない高鳴る動悸を感じながら、耳を澄ますと異常なくらいの静けさがあった。普段ならワイヤーが外れたりすると真っ先に友達のメイの所に行くのに、坂を上って私のところにシルバーは来た。

 彼のワイヤーをはずれないようにしっかり手に巻きつけて、坂の途中で「サダシー、サダシー」と大きい声で叫んだ。坂を上りきる前に、2階の自分の部屋の窓を開けて身体を乗り出して返事があった。よかったぁー、無事だった。それで玄関の方に行って彼が出てくるのを待った。出てきた彼はランニングにルンギ姿だった。「大丈夫だった?寒くないの?」「大丈夫、寒くない」と言うので、ともかくどうしていいか分からないから美術館に行こうと言って、2人で戻った。行く途中「懐中電灯ないの?」って聞いたら「ない」と言う。真っ暗になるし大変だなと思い、美術館までグランドから戻った。しかし私は怖くて中になかなか入れない。サダシは側にいたけれど彼が行っても何処に懐中電灯があるかなんてわからないし。ラージャスターンの人たちに美術館のものは全て渡していたので、私が自分用に部屋に持っているのを持ってくるしかないなと思った。

 玄関から入った通路左側にあったものが動いていたり、倒れていたり、物が散在していて、ちょっと入れないなと思ったけれど、懐中電灯がないとまずいなと思い、意を決して入って行った。壁が崩れた粉っぽい土の臭いとか、もう臭いが尋常ではない。ともかく中に入って行って、とりあえず自分の部屋までと思い階段を上がろうとしたら、階段がもう瓦礫という感じで、瓦礫の上を長靴で踏みつけていくという状態。部屋まで行ったけれど、自分の部屋に入るドアは飛び出して歪んでいて、中を開けたら本棚は倒れ、物がぐちゃぐちゃに散乱していた。足の踏み場もなく、物の上を上がっていって、中の部屋に入る引き戸を開けた。戸の近くのソファの後ろに置いてあった懐中電灯を取るのに、歪んでいるのか手間取った。なんとか力ずくで取ることができた。薄暗くて良く見えなかったけれど全部倒れている。あまりの静けさと自分のいるぐちゃぐちゃの空間のアンバランスに、もう怖いから戻ろうと思って懐中電灯を持って足早に階段を下りた。

 事務室の前を通る時、このままじゃ寒いと思って、自分の椅子にかけてあった黒いジャンバーを取って、サダシがとにかくランニングだから膝掛け毛布も取って、懐中電灯を照らして歩く。ふっと応接室を覗いた時、壁に描かれたジャンガルの大きな飛行機の絵もなく、その壁面がすべて落ちていて何もない。「あっー」と突き上げてくる感情を抑え、早く、次はシルバーのリードを探さなきゃと、心当たりを見るが、複数の人がそれぞれ違う場所に置くため、倒れた物を動かしたりしながら探す。ようやく赤いリードを見つけ、カリカリご飯もと思ったけれど、どこに飛んだかすぐに分からず、とにかく早く出るぞと思って、玄関の一歩手前まで来たら2回目が始まってしまった。「うわっ!」となんとか飛び出せて、サダシと2人で2回目の揺れを玄関前のポールのある辺りで受けた。2回も大きな揺れが来るなんて思っていなかったので、出られて良かったーと思う間もなく、やはりもの凄い音、ギシギシとかグラグラではなくて、窓という窓、柱という柱、建物全てが高速で揺さぶられ、機関銃のような何ともいえない凄い音がした。自分も揺さぶられ、大地も揺さぶられた。とてもじゃないけれど、側にいたサダシのこともシルバーのことも私にはもう周りを見る余裕はなかった。揺れがおさまっても大池はバッチャンバッチャンと音を立てていた。サダシに毛布を渡し、シルバーにリードをつけた。

 深呼吸したら、ふとカレーをなんとか送ってあげられないかなと思った。所在ははっきりしているし、手際よくやれば5分位で外へ出せるかもしれない。しかしサダシはこのままじゃ風邪引いちゃうから、彼にともかく服を着てもらわなきゃと思い、グランドへ出た。玄関の方を見たら、飛び出して壊れた戸の奥には倒れた白い冷蔵庫が見え、その奥も通路が倒れた物で塞がっていた。あれでもたもたしていたら、リード探しにもう少し手間取っていたら、スパイス棚、そしてその上に収納してあった重たい5枚の雪とよの下敷きだったに違いない。1回目の地震でバックとラジオを持って出られたことも、2回目も、なにか大きな力、神の力と言っても言い過ぎではないと思ったのだが、私は助けられた。震える気持ちを抑えながら、グランドの真ん中でラジオをつける。中越地方の震度が〜、冷静に行動してください〜とかしか言わない。しかし震源が中越という情報を得た。 サダシにも近くで大きな地震があったと説明した。

 シルバーを連れて宿舎へ行き、サダシに懐中電灯を渡して、ともかく洋服着ようよと言うと彼も「そうだ」と言って、懐中電灯を持って2階に上がっていった。玄関の外でシルバーと待っていた。上がって間もなく3回目が来た。この時の揺れはもの凄く大きくて、ガタガタッときたその次の激しい揺れで、私は地面に叩きつけられた。ダッダッダッダッという揺れに立ち上がることができずに近くの灌木にしがみついた。しがみつきながら横目で宿舎を見ると、しなるようにギッシギッシ音を立てながら風で杉の木が揺れるように小さな家が激しく揺さぶられていた。シルバーはじっとしていて、シルバーに引っ張られたという記憶はない。もうどうしていいかわからない。その時はほんとに恐怖だった。大地の揺れがダイレクトに身体に伝わってくる。長かった。一番激しく長く揺さぶられながら、私はこの世の終わりかと思った。このまま山が崩れ、山や大地と共に去っていくのかとさえ思えた。

 ようやく揺れがおさまった。サダシになにかあったらどうしようと、大きな声で「サダシー」と叫んだ。返事がない。だめだったのかと思って、もう一度「サダシー」と叫んだ。ほんの2,3秒したら「ハーイ」という返事と共に懐中電灯の明かりが見え、彼が出てきた。私は玄関から出てきたとばっかり思っていたんだけれど、後から聞いたところによると彼の部屋の前の窓から、トイレの上の屋根へ出て、そこから飛び降りたという。「大丈夫だった?」と聞いたら「大丈夫だ」と言った。私の心臓のバクバクはまだおさまらない。彼も服を着たし、ともかくグランドへ行こうと言って歩き始めた。
 彼に作ったダルとサブジをお裾分けしていたけれど、念のためサダシに料理してたの?どうなの?と聞いたら、料理はしてなかったとのこと、チャイは?火とかはどうだったのと聞くと使ってなかったと言った。降りる途中で家の裏のプロパンガスの元栓を2本締めて、少し位置を直して、グランドに行った。各家のガスの元栓を締めに回らないといけないなと思ったけれど、その後も余震がすごくて、何回もくるため動けない。ラジオをつけると、震源は中越地方、震度6強、慌てず行動してください、津波の心配はありません、壊れた建物には近づかないでください〜、ということの繰り返しで、どうすればいいんだろう。15分間隔くらいで3回の大きな地震が来たことは分かった。確かに来た。

 これからまた大きな地震がくるかラジオでは分からない。鞄に持っていた携帯を見るとバッテリーの残量が少なく、圏外だし、でもメールなら送れるかもしれないと、むんなに「友達の家にいるか、公民館に避難して」とかろうじて電波の入るところまで行って送信した。しかし混んでいて送れないとメッセージが出て、一気にバッテリーの残量がほんの僅かになってしまった。いつも待ち合わせに使う友達の家の本屋さんで合流予定だった。時間的にそこで待っていたら本と書棚の下敷きになっていないかとか、あの子のことだから、私と連絡がつかないからと、歩いてこちらに向かっているのではないか、途中土砂崩れに遭遇していないだろうかなど、心配がさざ波のように押し寄せてくる。

 グランドから美術館、校舎を眺めると、左端の崖の方の風景が寒々しい。遠くに薄く霧がかかっているせいか、殺風景に見えた。隣の家が1.5キロ、4キロ先という状況の中、ラジオだけでは心細い。次郎のおばさんはどうしているだろうか、大丈夫だろうかと思った。もうかなり寒くなってきているし、ともかく車で暖を取ろうと車を取りに向かう。道から向かって行って、初めて道路の亀裂を目の当たりにする。舗装部分は縦に亀裂がバッサリと入っていて、舗装の終わったすぐのあたりは縦横にぐちゃぐちゃと割れ、その先、普段4tトラックを駐車しておくあたりとその先の崖までを見ると20センチ位低くなって、崩れたところが砂みたいに見えた。土なのに崩れたところが波のようになっていて、その波が土じゃなくて細かい粒子、砂のようになっていた。あっ、これはもう崩れるんだろうなと思った。これは崩れるかもしれない。車を出せるんだろうかと、躊躇した。しかしギリギリ1台通ることができそうだと判断して、二宮さんの銅像の脇ぎりぎりにつけながら出して、グランドへ急いで動かした。翌日、その場所の一番奥、殺風景に見えた所にあったヒマラヤ杉の何本かとその一段下にある中屋さんの納屋ともども、山が崩れて流されていたことを知った。車をグランドの出口に近い、何かあったらすぐ出られる向きで車を止めて、暖房を入れた。

 シルバーをグランドのワイヤーをつなげるポールに結わき、サダシに車で暖まろうと言って車に入った。カレーを送ることは完全に諦めた。サダシにむんなと連絡が取れなくて、とっても心配なんだと話す。入って少しずつ暖まってくるとまた余震、車が何度も揺れた。しんと静まりかえったグランドで、月明かりが煌々とあたりを照らす。早くガスをなんとかしなきゃと思い、揺れが何度か来て落ち着いた時に、美術館のガスを締めてくるからと言って、台所裏に行った。水がジャージャー出ている音がした。窓ガラスが割れて飛んでいるし、窓枠も外れて飛んでいるのも見えた。プロパンガス置きの小屋の右のブロックが外れて壊れて倒れていたが、ガスは倒れていなかった。背伸びをして、完全に開いている4本のバルブを閉めた。水の音は台所へ引き込む立ち上がりの管の途中が外れているようだった。水量が多いので、このままだと壁を通して台所が水浸しになると思いながら、ともかくガスを閉めることが優先だと思い、また車に戻った。すごく不安でバクバクドキドキしながらやっているので、少し落ち着くまで待った。

 ワルリーハウスの所に行こうとした時には自分も行くとサダシが言ってくれた。その時はシルバーも一緒に連れて行って、バルブを締めた。その足で月見亭も行った。このまま余震が来なければ、次郎のおばさんの所まで歩いて行ってみようかとも思った。途中切り立ったところがあるのでどこか崩れていたら車だと危ないし、でも週末はよく小千谷の娘さんの所へ行っていることがあるので、危険な思いをして行っても留守かもしれないと思いとどまった。

 車の所まで戻ってくるとサダシは上へ行って来ると言って、宿舎へ行き、自分の毛布を持って戻ってきた。それを持って今はグランドに物置として置いてある4tトラックの方に行くので懐中電灯を持ってついていくと、助手席のドアを開けて中に入った。ベットルームのところの寝袋を出していたので、私用に出してくれているのかなと思ったら、どうも自分の寝床を作ろうとしていたようだった。サダシ、何してるの?と言ったら、何か言うんだけれどよく分からない。どうも、服を脱いで寝ようとしている感じなので、サダシここでスリーピング?駄目だよ。私と一緒にいないと駄目だよと言って、サダシは自分の毛布、私はその寝袋を持って車へ戻った。

 戻って落ち着いてから、あの水をなんとかしないといけないので、トラックに確か福岡で使った薄いけど片面コーティングしてあるベニヤが絶対あるはずだと思い、サダシに頼んでトラックに入ってもらった。なかなか見つけられなかったのだけれど、「あったー」と言って、一枚出してくれた。それで水をせき止め、すぐ下の排水溝へ流すのに使おうと思った。グランドを横切って、階段を上ろうとした時に弁天様の向こうの坂道を誰か降りてくる車の明かりが見えた。この明かりを逃したらいけないと思い、「サダシはここで待ってて、私は道のとこに行って来るから」と走った。道で待っていたら菅沼のたいむさんの息子さん、大上さんの息子さん、大誠さんの息子さんら3人が軽トラック2台でゆっくりと来た。「大丈夫でしたか?今みんな広い駐車場の所に一緒にいるから、一人だと心細いだろうから長谷川さんも一緒に行きませんか?」と言われた。心に暖かいものが広がった。次郎さんの所は行かれましたかと聞かれたが、心配だったんですけど怖くて行けないんですと言った。「それじゃ、僕たちが見てきますね。もしもう行けるようだったら、菅沼の方に先に行ってください」と言われ、ベニヤを裏へ運んでセットして、シルバーとサダシ君に菅沼へ行こうと言った。

 駐車場では、10台位がきれいに整列して止まっていた。たまたま今日、会があって、県下から集まっていたそうだ。日敬さんの生家で供養をしている時に地震にあったとのこと。道場の天井は落ち、大変で、皆で駐車場の方へ避難してきたという。その会がなければ、道場には誰もいず、菅沼には誰もいなかった。「私たちも道が崩れて下へ降りられないんで、長谷川さんもとにかく朝までここに一緒にいましょう」と言われた。何も持っていない私たちは、小さな水のペットボトルとささやかなお菓子をいただいた。9時40分頃だった。喉がカラカラだった。有りがたい水だった。夕食を食べていない私たちに空腹感はなかった。

 余震が続く中、菅沼出身の道場の3人は落ち着いたかと思うとまた軽トラック2台で出て行くことを繰り返した。結局、ここへ来る全ての道を点検しに行ってくれていたようで、土砂崩れがあったり、崩落していたり、4通りの道すべてが通れなくなったことが分かり、完全に孤立したことを知らされた。携帯を持っているみんながそれぞれかけようとするのだけれど、電波状況が悪くつながらない。たいむさんの息子さんの携帯が県警につながり、所番地を言って、38名皆無事だとか、道路状況も説明していた。彼は、県警本部につながるが、道を言ってもなかなか分かってもらえず、十日町署に伝えておきますと言われたが、状況が伝えられたからよかったと言った。

 11時頃になって道場の公衆電話が10円玉ならつながる事がわかって、ともかく子供がこういう状態で連絡が取れなくて心配で心配でしょうがないんだけれどと言ったら、大上さんの息子さんが一緒に道場に行ってみますかと言ってくれた。軽トラックで道場まで行き、「道場もひどい状態だから靴のまま入って」と言われ、懐中電灯の明かりを頼りに入った。床に落ちている公衆電話で、むんなに電話したら留守電でつながらず、絶対長谷川さんと連絡を取っているだろうと思って電話したら一回でつながった。むんなと連絡がつかない、サダシもシルバーも無事で大丈夫だと言うと、むんなは大丈夫、僕と連絡をとりながらやっているから、これからそっちに向かおうと思っていると言う。来てもこっちへ上がって来られない、土砂崩れとかで全ルート通れないから無理だよと言っている時にプーッと30円分が終わってしまった。帰り際大上さんの息子さんが事務室のドアの中を照らし、「凄い状態でしょ」と見せてくれた。ミティラーと同じ、もうぐちゃぐちゃだった。

 駐車場に戻り、車で寝ようとするのだけれど、シルバーも落ち着かない。11時30分頃町からの道に2つの明かりが見え、近づいてきた。通れないはずの道を誰が来たのだろうか?数人車から出て出迎える。見ると2台のバイクで赤いバイクスーツを着た二人の男性だった。サダシにポリスマンだと教えた。むんなの無事も確認でき、長谷川さんとも連絡ができて少し安心していた私は、もう車から出て話しに参加することはしなかった。窓を下ろし聞こえてくる内容から、ポリスマンではなく消防隊員で、自分の家の状況も確認できないまま、こうやって各地域を確認して回っているとのこと。菅沼と奥の大池の状況や道の状況を聞いてメモを取ると「ご苦労様でした。ありがとうございました。頑張って下さい。」という言葉を背に二人は戻って行った。まだまだ大きな余震が続く中、こうやって任務を遂行している人たちがいるんだなと勇気づけられたし、安全を祈った。

 暖房を切ると寒いし、入れるとハスキー犬のシルバーには暑いし、人の動きやライトでまた動くし、トイレに何回も連れだし、普段は絶対飲ませないのだけれど駐車場脇の排水溝の流れる水を飲ませ、戻って少しうとうとすると余震がまた来るといった繰り返しで眠れない。月明かりで明るいものの、夜は不安を増幅させる。ようやくあたりが白み始めた頃、疲労感と僅かな安堵感で眠気がやってきた。うとうとし始めると周りでは車から起き出し活動が始まった。私にも「明るくなるとトイレ行きにくくなるでしょうから、もう済ませた方がいいですよ」と声がかかった。シルバーと戻ってくるとサダシが起きて「お腹が空いた」と言った。昨日いただいた僅かなお菓子を渡した。たいむさんの息子さんに「道場の方で炊き出しをしますので、一緒に食べましょう、道場の方へ行ってください」と誘われ、車を移動させた。

 シルバーを外のポールにつなぎ、鞄の中を探すと20円出てきたので、電話をしようと中に入ると、既に順番待ちだった。広間を覗くと鉄板のような天井が一部落ちてぶら下がっていた。実家に電話すると母が出て、「大丈夫だった?心配してたんだよ。怖かったろう?」と一言聞いたら涙が出そうになった。ともかく無事だったからと話し始めたらプーと切れてしまった。

 少しお手伝いしているうちにご飯が炊け、サダシと食べさせてもらった。シルバーにも余ったものをいただいた。菅沼の方たちには本当にお世話になり、有り難かった。車に戻って、現実的にこれから私は何をどうすればいいんだろうかと不安になった。鞄の中を整理して10円玉を探した。3枚見つけたので館長に電話をしたが、つながらなかった。ガスは使えるんだろうか、水は大丈夫だろうか、あの瓦礫のようになったところをどうすればいいんだろう?菅沼にいる人たちは皆町へ降りていく人たちだし、残された私たちはどうすればいいんだろう?などと不安を募らせていると、車の音が聞こえてきた。皆一様に通れない道を誰が町から上がって来たんだろうかと車を見た。私も誰だろうと見ていたが、車が近づくにつれ、うちのリベロに似ているようだけれど、と思っているうちにどんどん近くなり、館長が運転している!隣には娘のれいなが乗ってるし、後ろにはなんと避難していたむんなまで乗っていた。3人の元気そうな顔を見ていっぺんに幸せな気持ちが心に広がった。





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