ミティラー美術館、および NPO法人日印交流を盛り上げる会は
日印の文化交流に関して様々な活動を展開しています。 |
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【 ↓2006年/インド・マニプリ舞踊公演の記録↓】 |
インド・マニプリ舞踊公演 平成18年3月1日〜3月15日 |
■公演を終えて■ |
数年前から、インド文化庁ICCRの派遣の舞踊団を全国に派遣してきた。それぞれ文化的に異なり舞踊や音楽の内容の違いだけでなく食や生活習慣の違いもいろいろと見させてもらった。今回、訪れたマニプリ舞踊団の印象は宿舎を出る時に徹底的に掃除をして出て行く事が印象に残った。使用していたマイクロバスを帰国間際に、大勢で外側や内側の隅々まで洗ってたり掃除してくれた。メイテイ族である彼らはマニプルの中央の平原に住んでいて人口は25万人。聞く度に異なった数字を言うので、この数字が最後に出てきたのでかなり、現実に近いのではないかと思う。周辺の山には29の少数民族が住んでいて人口が合わせて10万ぐらい。これらの少数民族は他の州にまたがって住んでいたりしている。彼らのほとんどはキリス教徒。メイテイ族は18世紀のパギヤ・チャンドラ王の時にヴィシュヌ神に帰依し完全にヒンドゥー教となった。今日の古典マニプリ舞踊はこの王が確立したと言われている。ビルマからの侵攻に対抗するためにヒンドゥーの王たちの協力が必要だったのです。日本が仏教を取り入れたのと似たところがあってヒンドゥーの神々崇拝しながらも彼ら独自の宗教が生きてる。平原地帯をメイテイ族のものとするためにも武術や文化が独自に発展しました。1919年にこの地を訪れたタゴールが頽廃していたインドの舞踊にはない清らかな舞踊を発見し、彼が創立したシャンティ・ニケタンの大学に持ち帰ってインド舞踊再興の一助としたことでマニプリ舞踊も洗練されていった。このことを彼らは誇りに思っている。NungHawai(ヌンハワイ)という納豆を食べる。ヌンは大豆、ハワイは豆。Nung Hawai Panbi(ヌンハワイパンビ)という草の葉っぱに煮た大豆を入れて納豆にする。 |
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■開催にあたり■ |
来日のきっかけは昨年のヒマーチャル舞踊団が群馬県の光恩寺で公演していたときに感動された明和町の中央公民館の館長が「公民館祭り」でインドからのこのような舞踊団が自分の町で紹介できるだろうかと住職に聞いたのが縁。それと同じく昨年の8月ごろセライケラ舞踊団が来日し、それを見られた「世界舞踊祭」をプロデュースしている国枝さんという教授が横浜の公演にも来られ、出演してもらえることはできるだろうかと要望があり、とにかくインド大使館の方にリクエストしてみた結果、いろいろな経緯があったが大使館の骨折りでこの舞踊団が来ることになった。それが決まったのは来日前一ヶ月を切っていた。いつものことだが、資料の写真が4枚届いたのも来日12日前。知人等に連絡を取りながら他の公演をオーガナイズしているとういう状況。団長のニミタ・デーヴィーさんは「'88インド祭」の時にも四大古典舞踊の一つとして日本文化財団の企画で来日し、国立劇場等で公演をしている。世界で行われたインド祭にも度々派遣されており、昨年の愛知万博でも皇太子様がインドパビリオンに来られるということで、インドを代表して急遽、その時に合わせて日本に派遣されている。彼らが住んでいるインパールは第二次大戦の時に日本軍とチャンドラ・ボース率いるインド軍が共にインド独立を目指し、向かったところとして知られている。日本に対して友好の情を持つ人々でナマステ・インディアでも二度ほど紹介している。戦後50年の年に、当時の日印経済委員会の山下英明氏から「インパールの人々は遺骨を収集し慰霊碑を建て、日本に対する歴史的な想いを持っていて、我々は感謝すべきことが多々あるにもかかわらず、歴史を忘れた日本人にほとんど関心がないのが悲しいことだ」と言われ、二度にわたってインパールから舞踊団を3ヶ月という長期公演を行ったことがある。納豆という名の大きな葉っぱで煮た大豆を包む。おいしい納豆を作る彼らはメイテイ族と呼ばれ、ある時代に数次にわたる侵攻してくるビルマからの防衛のためもあってヒンドゥー教も取り入れてはいるが、メイテイ族独自の宗教や文化を色濃く持っていて、その独自な東洋的踊りは素晴らしくタゴールが絶賛したのも頷ける。現地に行った時に、私が菜食だということで何十種類というベジタリアンの食事を食べさせてくれたことがある。それは山住の文化を感じさせるものだった。日本の山菜を思わせるような森のいろいろな植物が基本となっていた。急な来日ではあるがより多くの人たちにこの舞踊が見れるように努力していきたいと思っている。是非、多くの人に呼びかけて見ていただけたらと思います。<2006年2月20日の文章です> |
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■マニプリ舞踊■ |
マニプリ舞踊は、北東インドのアッサム地方、ミャンマーとの国境に接するマニプル州の民族舞踊で、インドの6大古典舞踊の一つ。「マニプリ」は宝石という意味の言葉です。 |
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■来日した舞踊団■ |
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■公演日程■ |
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■ポスター■ |
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■お問い合わせ■ |
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