Festival of India in JAPAN


特別展 コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏ー仏教美術の源流ー

▼日印交流史上初めてとなるインドからの仏像の本格的な公開です。
 アジア初の総合博物館として1814年に創立されたコルカタ(旧カルカッタ)・インド博物館から、インド
 仏教美術の至宝約90件が来日します。仏教文化に多大な影響を受けた日本人にとって必見の展覧会、
 皆さまお誘いの上是非ご参加ください。

 会期:2015年3月17日(火)〜5月17日(日)

 会場:東京国立博物館表慶館 [上野公園]

 開館時間:午前9時半〜午後5時(金曜日は午後8時まで、4月4日以降の土・日・祝休日は午後6時まで)

 観覧料:一般1,400円(前売1,200円)、大学生1,000円(前売800円)、
     高校生800円(前売600円 )

     ※前売券は3月16日まで販売。博物館の他、チケットぴあ、ローソンチケット、セブン-イレブン、
      イープラス、JTB、ファミリーマートほか主要プレイガイドにて販売。

 主催:東京国立博物館、インド政府文化庁、コルカタ・インド博物館、インド大使館、
    日本経済新聞、BSジャパン

 協賛:双日、野崎印刷紙業、みずほ銀行、三井物産

 協力:エア インディア

 お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
        http://www.tnm.jp/(東京国立博物館ウェブサイト)

●関連イベントとして、記念講演会や「親子で体験!インド式計算」講座、インドの仏とヨガ等があります。

平岡三保子氏(文学博士、インド美術史学者、龍谷大学仏教文化研究所)のこの展覧会の見どころが
 (公財)日印協会会報に掲載されました。【こちら】からご覧頂けます。
 

第アジア有数の規模 コルカタ・インド博物館から、
インド仏教美術の至宝が急遽来日!


21世紀に入りますますダイナミックに変貌するインド。この展覧会は、インドと日本の文化交流を促進することをめざして2014年秋から一年間にわたり開催されている「日本に於けるインド際2014-2015」(Festival of India in Japan 2014-2015)に主要イベントのひとつとして開催いたします。

コルカタ(旧カルカッタ)のインド博物館は、1814年に創立されたアジア初の総合博物館です。なかでも仏教美術のコレクションは秀逸で、古代初期のインド仏教美術を代表するバールフット遺跡(紀元前二世紀頃)を再現したギャラリーや、初めて仏像が作られるようになったクシャーン朝時代(1〜3世紀)のガンダーラ及びマトゥラーの仏像彫刻、インド文化の黄金時代とよばれるグプタ朝(4〜6世紀)の美術、密教が隆盛したパーラ朝時代(8〜12世紀)の名品など、インドの仏教美術を代表する優品が多数収蔵されています。

本展は、その貴重なコレクションの中から選りすぐりの仏教美術作品を紹介するアジア国際巡回展です。(上海博物館:2014年12月3日〜2015年2月2日の後、巡回)。釈迦の前世の物語である本生話を題材にしたバールフットの浮彫彫刻、ギリシャ・ローマの影響を色濃く映し出す流麗なガンダーラの仏像、インド独特の造形感覚をものに発展した肉感的なマトゥラーの仏像、釈迦が初めて説法をした地サールナードで出土したグプタ朝時代の仏伝四相図のほか、密教の隆盛した東インドのパーラ朝の典雅な観音菩薩立像やシュロの葉に書かれた貝葉経などの経典類まで、各時代の特徴を示す名品約90件を紹介します。仏教誕生の地インドで千年を越えて展開した仏教美術の本流をたどる展覧会にどうぞご期待下さい!

 

1_菩提樹(カナカムニ仏)の礼拝
バールフット出土 シュンガ朝(紀元前2世紀頃)
Photograph © Indian Museum, Kolkata
第一章 仏像誕生以前

古代初期の仏教寺院はストゥーパ(仏塔)を中心につくられました。ストゥーパを取り囲む欄楯と呼ばれる囲いを、釈迦の誕生、その生前の物語であるジャータカ(本生)、神像、蓮華文様などで装飾しました。当時、仏陀は人間の姿では表されず、法輪や聖樹、足跡などにゆおって存在を暗示するのが習わしでした。中インドのバールフットは古代初期を代表する仏教遺跡です。高さ3mに及ぶ巨大な欄楯に施された浮彫彫刻の造形は、古拙ながら力強さがみなぎっており、見るものを圧倒します。


写真:菩提樹(カナカムニ仏)の礼拝 
釈迦よりも前に世にあって悟りを開いたとされる過去七仏の一人、ナカナムニ仏を礼拝する場面。画面中央、人々の合掌、散華する先には、空の台座と花網で飾られた樹木があるのみで、仏はこれらによって象徴的に表されています。古代初期にはこのように仏陀不表現のルールが守られていました。


仏伝「出家踰城」
仏伝「出家踰城」
ロリアン・タンガイ出土 クシャーン朝(2世紀頃)
Photograph © Indian Museum, Kolkata

第二章 釈迦の誕生

インド最初に仏像が作られたのは、ガンダーラと北インドのマトゥラーで、紀元後一世紀頃のことと考えられています。この時代に北インドから中央アジアを支配したのはクシャーン朝で、仏教美術も多いに隆盛しました。特にガンダーラでは、釈迦の生涯をたどる仏伝説話の美術が発達しました。釈迦の偉大さを示すために、説話には超自然的な出来事も数多く含まれています。ここでは、時代を超えて愛好された仏伝美術の作品の数々を紹介します。

写真:仏伝「出家踰城」
王子として育ったシッダールタ太子(のちの仏陀)が、出家をするためにカピラヴァストゥの城を出ていく場面です。馬の蹄の音で周りに気づかれないために、ヤクシャ神が蹄をもち、太子には傘が差しかけられ、太子の周りでは神々が太子の出家を讃嘆しています。


仏坐像
仏坐像
アヒチャトラー出土 クシャーン朝(1世紀頃)
Photograph © Indian Museum, Kolkata
第三章 仏の姿

仏像の誕生以後、礼拝像としてさまざまな仏が作り出されました。仏像の誕生から間もない頃の仏陀像の多くは、釈迦の姿を表したと思われますが、ガンダーラ美術にみられる独特の説法図にみられる仏は、阿弥陀仏など大乗仏教の仏ではないかとする説もあります。また、出家して悟りを開いた仏は、本来装飾を身につけませんが、宝冠や首飾などで飾られた仏も作られるようになります。


写真:仏坐像
ガンダーラと並んで仏像が最初に作られたマトゥラーでは、みずみずしい肉体をもった青年のように仏が表されました。頭髪は頭頂部に渦巻型に髪を巻いた形で、薄い衣を右肩にあらわにして身につけているのが初期のマトゥラー仏の特徴です。仏の座には一対の獅子がいます。これは仏が釈迦族の獅子と呼ばれたことを造形化したものです。




弥勒菩薩坐像
弥勒菩薩坐像
ロリアン・タンガイ出土 クシャーン朝(2世紀頃)
Photograph © Indian Museum, Kolkata
第四章 さまざまな菩薩と神


悟りを開いた仏に対して、修行を経て未来に仏になるものを菩薩と呼びます。大乗仏教の興隆とともに、人々を救済するものもこう呼ばれるようになり、その種類も増えていきます。インドの王族の姿を原型とする菩薩は、冠や首飾などの装飾をつけています。菩薩には各々に特徴があり、髪型や宝冠、そして持物の種類によって区別することができます。また、仏教はインド古来あるいは外来の神々を取り入れ、それらは守護神など様々な役割を担いました。

写真:弥勒菩薩坐像
弥勒は現在、兜率天という天の世界にいて、釈迦の入滅から数えて56億7千万年後にこの世に生まれて釈迦と同じように悟りを開いて仏になり、人々を救うとされます。ガンダーラでは弥勒の信仰も盛んに行われました。弥勒菩薩は、髪を束ね、手に水瓶を持つ姿で表されます。豪華な装飾品を身につけるのは、釈迦が出家する前のシッダールタ太子の姿が元になっています。



奉献塔
奉献塔
アシュラフプール出土 パーラ朝(8世紀頃)
Photograph © Indian Museum, Kolkata

第五章 ストゥーパと仏


古代初期のインドでは、仏教徒の信仰の対象は仏の舎利を納めたストゥーパ(仏塔)でした。仏像の誕生後も、ストゥーパの信仰はさまざまに形を変えながらも継続していきます。ストゥーパの中には、仏の舎利を意味するさまざまなものが納入されました。また、仏のみならず亡くなった僧のためにもストゥーパは造営されました。

写真:奉献塔
















カサルパナ観音立像
カサルパナ観音立像
チョウラパーラ出土 パーラ朝(11〜12世紀頃)
Photograph © Indian Museum, Kolkata

第六章 密教の世界

仏教の教えが次第に複雑になり、インドでは5〜6世紀頃に密教が生まれたと考えられます。インドで次第に隆盛してきたヒンドゥー教の影響を受け、多面多臂の密教像が作り出されたり、仏、菩薩、護法尊、天のそれぞれに多様な尊格が生まれ、仏たちの世界を形作っています。東インドのベンガル地方では7世紀頃から密教が盛んになります。8世紀に東インドで興ったパーラ朝は、王たちが仏教を手厚く保護し、大寺院を各地に建立しました。

写真:カサルパナ観音立像
中央の観音は、右手は与願印を結び、左手で蓮華の茎を持っています。観音の右に、ターラーとスダナクマーラ、左にハヤグリーヴァ、ブリクティの合計四尊が従い、頭上には仏の右脇から大日、宝生、阿弥陀、阿?、不空成就の五仏を配しています。このような組み合わせの像をカサルパナ観音あるいは空行世自在と呼びます。カサルパナとは「空中を遊行するもの」の意味で、密教において多様化した観音のひとつです。緻密な玄武岩を掘り出した姿は、研ぎ澄まされた美しさを備えています。



八千頌般若波羅蜜多経
八千頌般若波羅蜜多経
バレンドラ・ブーミ派 パーラ朝(11世紀頃)
Photograph © Indian Museum, Kolkata
第七章 経典の世界

仏教の教えは、もともと口伝でしたが、次第に文字で残されるようになります。紙のない時代のインドでは、樹皮やシュロの葉などに経文を記し、それを綴じて保管していました。紙が用いられるようになっても、その形式は存続しました。

写真:八千頌般若波羅蜜多経
シュロの葉に経を記したいわゆる貝葉経で、インドで古くから用いられました。八千頌般若波羅蜜多経は、大乗仏教の中で最も重要な経典のひとつで、その成立は紀元前後頃までさかのぼると考えられています。同経が長い間流布していたことは、東インドやネパールでは数多くの写本が見つかっていることからもわかります。この作品では中央の区画に、青い体で3つの目を持ち、歯を剥いた忿怒の形相の女尊ナイラトナ(無我女)を描いています。右手にカルトリという曲刀、左手にの髑髏杯をを持つのは、他の多くの忿怒像にもみられます。左脇には髑髏の枝を抱えています。


 
■チラシ



■東京国立博物館 特別展「コルカタ・インド博物館所蔵インドの仏仏教美術の源流」開催に寄せて
 

hira1今年の6月、ミティラー美術館の長谷川時夫館長から思わぬ報が入りました。中国で開催予定のインド美術展を、その後日本へも招聘しようという動きが、インド政府側より表明されたという事でした。そして展覧内容は、コルカタ・インド博物館の仏教美術という、嬉しい驚きのニュース。しかし一方で、展覧会予定が数年先まで決まっている日本の美術館・博物館の常識では考えられない課題、つまり「半年後に開催したいので急ぎ受入先を探したい」という急務がその実現の前に立ちはだかっていました。その後長谷川氏を含め関係者の奔走が実を結び、当初の計画よりやや遅れるものの、来春には東京国立博物館での開催が決定した事も私には重ねて嬉しい驚きとなりました。

すでに東博の方でも広報が始まったのでこれから見聞きされる方も増えることでしょうが、コルカタ(旧カルカッタ)・インド博物館(以降コルカタ博と省略)の創立は英国植民地時代、1814年のことになります。インドの首都は、1931年にデリーに制定されるまでカルカッタ(現コルカタ)に置かれていたので、コルカタ博は「大英帝国博物館」たる権威をもって設立され、インドのみならずアジアで初の、そして最大規模の総合博物館として注目される存在であり、収蔵品は英国領時代に集積された文化遺産の象徴として質量共に並々ならぬ威光を放っています。今回の展覧会は特に仏教美術に焦点を当てて行われますが、このコルカタ博の仏教美術コレクションはまた際立っています。過去わが国で開催されたインド系の美術展にそのごく一部が展示されたことはありますが、コレクション全体を概観しその素晴らしさに触れるという意味では今回が初めての機会となります。

来日する作品の制作年代は古代から中世にかけて、実に1300年以上の幅があり、インドで生まれ育った仏教美術の様々な側面が映し出されます。

たとえばインド古代初期(前3〜1世紀)。この時代は「無仏像時代」とも言われストゥーパ(仏塔)の装飾美術が栄えました。コルカタ博は紀元前2世紀頃に造営されたバールフットのストゥーパに属する遺構を復元展示した「バールフット・ギャラリー」が有名ですが、出展されるバールフット出土の浮彫数点はストゥーパ美術では現存最古の部類で、ようやくインドで石彫が普及し始めた時代にあって、彫刻技法はややぎこちなくも仏の教えを懸命に伝えようとする初発的な魅力に溢れています。(図1)

続く古代中期(後1〜3世紀)は仏像誕生の時代。二つの仏像の故郷、「ガンダーラ」と「マトゥラー」に絞った展覧会が、2002年に東博で開催されたことはまだ記憶に新しいかと思います。今回来日するコルカタ博所蔵のガンダーラ美術とマトゥラー美術の数々は、前回の展示品と一つとして重複していません。この両者を同時に観る事で、私たちはヘレニズム文化の薫陶を受けたガンダーラと古代初期インド美術の伝統を持ったマトゥラーにおける仏像創作の在り方がいかに異なるかを目の当たりにできるでしょう(今回の展覧会ではマトゥラー出土ではありませんがマトゥラー派の仏像と対面できます、図2)。またガンダーラ地方ローリヤン・タンガイ出土の名品をまとまった形で見られるという点でも貴重な機会といえるでしょう(図3)。古代後期(後4〜7世紀)はインド古典文化の黄金時代。仏像の様式も成熟し、「グプタ様式」あるいは「古典様式」としてアジア各地に大きな影響を与えました。わが国では法隆寺金堂の壁画様式にその反映が見受けられます。特に釈迦初説法の聖地であるサールナートで量産された仏像には気品と優美さが溢れています(図4)。

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hira05中世(8〜12世紀)に入ると、仏教はヒンドゥー教と深く影響し合い、密教美術へと発展します。そして中世末、インドでは、イスラーム勢力の侵攻と共に、仏教及び仏教美術が終焉を迎えます。インドで最後に密教美術の花を咲かせたのは東インドのパーラ王朝でした。インドの東玄関に位置するコルカタ博はパーラ美術の宝庫でもあります。仏像では台座と装飾的な光背を備えた碑像形式が発達し、前代にはなかった緻密で精巧な彫法が見られます。またパーラ時代にはシュロの葉に経文と挿絵を記した「貝葉写本」が数多く制作されました。その大半はイスラーム勢力によって惜しくも消滅してしまいましたが、それでもまだ難を逃れ、今日まで遺された希少な写本が散在します。今回の展覧会ではイスラーム時代を生き延びたパーラ写本の貴重な古例が出展され、独特の彩色と筆跡を間近で堪能する事ができます。仏像にしても写本挿絵にしても、パーラ時代には数多くの種類の密教尊像が表される点でも、注目されます(図5)。

インド仏教美術がわが国の文化遺産に多大な貢献をなしたことは誰もが知る所ながら、実際には美術作品の露出度は意外なほど僅かです。インド美術の展覧会が日本で開催される機会は滅多になく、日本国内の収蔵・展示品も極めて限られています。その意味で今回の「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」展は、インドで仏教美術が生まれ、消滅するまでの千数百年の足跡がコルカタ博の名品を通して雄弁に語られる、またとない展覧会となるでしょう。

各時代を通じて展示品の中には、仏像以外にブッダの伝記を表した仏伝図、過去世を取り上げた本生図など仏教説話図の占める割合も少なくありません。それは、ブッダが人として生まれた国ならではの傾向と言えるかもしれません。またインドの仏教彫刻は大半が石造であり、主題、材質、様式とも日本の仏教美術とはかなり趣が異なります。インドの大地で育まれた仏教美術は、おおらかな祈りと生命讃歌に溢れています。まずは故郷インドにおける特有の広がりと奥行きにじっくりと触れ、わが国の仏教美術との違い、隔たりの中にこそ大いなる仏教美術の旅路を感じて頂きたいと思います。多くの日本の方々が来場され遙かなる仏教美術のルーツに触れる機会を楽しまれます様、学生時代にインド美術の虜になって以来、足繁くコルカタ博に通い続けている一研究者として願っております。

文責 平岡三保子(文学博士、インド美術史学者、龍谷大学仏教文化研究所)

 






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