ミティラー美術館開設(1982年)
 

 長谷川が東京から月を求めて十日町市大池に移住したのが1973年。8年後に大池という名の池を含んだ周辺の開発計画を地元自治体が公開する。長谷川は自然に手を付けない形での代替案「宇宙観を基本とする社会教育」の活動の場として旧大池小学校を借り受け、ミティラー美術館を1982年に開設する。

インド ビハール州のマドゥバニの村で、ガンガー・デーヴィーさんが、「私たちは貧しいので助けて欲しい」と言われたことがミティラー美術館開設のきっかけとなる。ミティラー画も近代化の中で、日本の浮世絵と同様に散逸していくだろうと思い、数十回と現地を訪ね、集めたコレクションは大きな文化的な遺産となる。
インドでは散逸しているからだ。
またインディラ・ガンジー女性宰相を支えた文化遺産関係首相顧問ププル・ジャヤカル女史より「世界に比することのない質と量」とも評価された。
その後、ミティラー画やワルリー画を中心に描き手達が延べ100人を越えて招聘され、日本全国各地及びミティラー美術館での公開制作をしていく。そこで描かれた新たな創造的な作品、及び美術館とのコラボレーションによって描かれた大作は美術館の主要コレクションとなり、全国各地で開催された美術展覧会で多くの人々を魅了していった。
 
インドの現地で始まった美術運動は、貧しい村落の人々の救済という方向に重きが置かれ、紙や布に描かれた作品も小さく、美術館等で展示するには迫力不足でもあった。インド政府の支援でナショナルアワードを受賞した描き手も価格が大きさに比例して決まっていくような環境。ギャラリー等で展示するには可としても美術館で展示するには迫力にかけていた。壁画なので土で描いてもらうのが一番いいが、長く保存することができない。そこで、コンクリートを塗った擬似壁を作り、縦横1mから4m近い大作が描かれていった。制作に好きなだけ時間をかけて良いということを前提に、描き手2名以上が3〜6ヶ月にわたって日本に滞在し、作品を制作。数次にわたって来日する描き手が描く題材がなくなってくると、美術館とのコラボレーションが始まった。ゴーダーワリー・ダッタはシヴァ神がもつトゥリシューラ(三つ叉の槍)、ラーマ王子の持つ弓ダヌーサ、ダマル(シヴァ神の持つでんでん太鼓)、3.6m×1.8m前後の擬似壁に来日して6ヶ月の滞在中に半分を描き、翌年残りを描く。2年かけた大作3作品を完成させた。このような大作に挑戦した描き手は、ミティラー画ではガンガー・デーヴィー Ganga Devi、シーター・デーヴィー Sita Devi、スール・デオ Suuj Deo Jha、マハースンダリー・デーヴィー Mahasundari Devi、ゴーダーワリー・ダッタ Godawari Dutta、バゥワー・デーヴィー Bauwa Devi、ヤムナー・デーヴィー Jamna Devi、シャンティー・デーヴィー Shanti Devi、カルプーリー・デーヴィー Karpoori Devi、リーラー・デーヴィー Lila Devi、ビムラー・ダッタ Bimla Dutta、サシカラ・デーヴィー Sashikara Devi、プシュパ・クマーリー Pushpa Kumari。ワルリー画はジヴヤ・ソーマ・マーシェ Jivya Soma Mashe、サダシ・ジヴヤ・マーシェ Sadashiv Jivya Mashe、バルー・ジヴヤ・マーシェ Balu Jivya Mashe、シャンタラーム・ゴルカナ Shantaram Ghorkhana、デウー Deu Rama Dhodde、ヴィジェイ Vijay Sadashiv Mhase、トゥシャール Tushar Wayeda、マユールMayur Vayeda。ゴンド画はジャンガル・シンJangadh Singh Shaym。テラコッタのアーティストはインパールのニルマニ・デーヴィー Nilamani Devi、レビカ・デーヴィー Lebika Devi、ビハールのララ・パンディットLala Pandit 、ジャグデッシュ・パンディットJagdish Pandit、タミルナードゥのメヤヴェラル・レンガサミー Meyyavelar Rengasamy、ラミハ・タンガイア Ramiah Thangiah、オリッサのマナ・ボダ・ラナ Mana Bodha Rana。インドではこの様なフォークアートを収蔵した美術館が少ないため、著名なアーティストの作品がどのようなものか見る機会がほとんどない。来日したアーティストにとってはミティラー美術館滞在中、あるいは全国規模の展覧会での公開制作のなかで他のアーティストの作品を見る機会となり、とても大きな刺激となる。それは制作する作品の質がレベルアップするという状況が生まれた。このようなインドのフォークアートの発展の場に寄与しているという事、全国規模の移動展による国際交流は、文化・芸術による地域作りの推進に大きな貢献をし、1998年度(平成10年度)、国際交流基金地域交流振興賞、を受賞することとなった。
その他、ドクラのアーティスト、マハマヤ・カルマカール Mahamaya Karmakar、バンブーアーティストのシャムスル・ハク Shamsul Haqueと息子のモ・マルーン Mohd Maroon、モハマッド・ウスマン Mohammad Usman、アッサムからマネンドラ・デカ Manendra Deka 、トリプラからスレーシュ・チャンドラ・ダース Suresh Chandra Dasなどが制作している。

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