2008年日印文化交流
ミティラー美術館、および NPO法人日印交流を盛り上げる会は
日印の文化交流に関して様々な活動を展開しています。
【 ↓2004年/ラダック仮面舞踊公演の記録↓】

インド文化庁派遣
ラダック仮面舞踊公演
平成16年2月4日〜2月23日


雪祭り公演の様子を2分間の映像でご紹介致します
*ご覧頂くにはApple社のQuick Time Playerが必要です*
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◆ラダック仮面舞踊とは?◆
 
 
インド秘境の地ラダックには、チベット密教の文化がほとんど手付かずのまま残されています。中国領チベットは中国との確執の中で変化を余儀なくされた歴史がありますが、ラダックには10世紀頃に建てられた僧院や美しい曼荼羅が数多く残されており、「チベットよりもチベットらしい」(『人間賛歌〜気高き地球人万歳』)といわれています。ヒマラヤ山脈の西の端に位置するインド・ラダックは、26年前まで外国人の立ち入りが禁じられてきました。標高3500mを越える高地には、ほかの地域ではめったに見ることのできない珍しい動物たちが数多く生息しています。
 高く険しい山には、地元の人が「山の主」と呼ぶブルーシープや幻の動物ユキヒョウが、標高4500mの青く輝く天上の湖には、ヒマラヤを越えて飛来する世界で最も美しいインドガンや平原を駆ける黒いオオカミもいます。
 標高4500mの湖のほとりには、遊牧民が作った世界最高地といえる村もあります。仏教を篤く信仰するラダックの人たちは、殺生をせず、生きものと共にくらす道を歩んできました。それが、ラダックに希少な動物たちを生き残らせてきました。(「特集 生きもの地球紀行」)
 今回インド文化庁より特別に派遣されるラダック仮面舞踊は、この地の仏教と共に古くから伝統として祭や儀礼の折に踊られてきたものです。


◆公演模様◆
in 十日町雪祭り

◆ラダック仮面舞踊公演日程◆
*下記のような日程で公演が行われました*
2004年2月 4日

来日
2004年2月 4日
北海道
札幌雪祭り参加
2004年2月 5日
北海道
札幌雪祭り参加
2004年2月 6日

札幌→東京
2004年2月11日
新潟
新潟万代シルバーホテル


・ラダック仮面舞踊公演 15:00~16:00
・(お話)ビレン・ナンダ次席インド大使


「新潟インド文化交流会」設立準備会・交流会 16:00~
2004年2月13日
東京
・インドITクラブ (インド大使館) 17:00~19:00
・ラダック仮面舞踊公演 19:30~21:00
・交流パーティ 19:30~21:00
2004年2月14日
横浜
スペース・オルタ
2004年2月21日
新潟
十日町雪祭り参加(キナーレ公演)
2004年2月22日
新潟
十日町雪祭り参加(赤倉地区公演)
2004年2月23日
埼玉
東鷲宮小学校・ワークショップ
2004年2月24日

帰国




◆ラダック仮面舞踊公演を終えて◆
代表の長谷川時夫によるメッセージ
(
NPO日印国交樹立50周年記念事業を盛り上げる会代表 / ミティラー美術館々長)


 不思議なことだ。札幌雪祭りに二泊だけでインドに帰る予定のこのグループが、滞在を延ばし、今日帰国した。2月4日来日、2月6日帰国予定が、2月24日帰国になるまでの間、沢山のハプニングがあった。

 これだけの滞在を可能としたのは、まずは昨年12月1日に行われた、新潟県での「ITセミナー」前日。インド大使館の文化担当官マハジャンが大使と夕食をと言うので、一日早く雪の山から新潟市まで出ていった。行ってみると、大使は予定が入っていた。彼と食事に市内に出かけた。その時に、このグループの話を聞いた。「良よかったらどこかでやりませんか?」その言葉にはあなたの文化活動に利用出来ますよという言い方だが、何も話さないが、私と彼には共通したものがある。2日で帰るのはもったいないということだ。

 翌日の「ITセミナー」の交流会で、県の担当室長から突然スピーチを頼まれた。これは良い機会だなと思って、新潟県のIT関係者・企業、そしてインドのIT企業・関係者に文化から見た日印の視点について話した。日露戦争から2年前ぐらいの時に、大隈重信が 日印について世界的な視野で考えていたことを話すと、通訳の方がついてこれないので、下手な英語で話し始めると今度は日本語でも訳して話すようにと言われ、慣れない事で頭が少しごたごたし始めたときに、大使が自分の通訳に協力するようにと指示をだしてくれた。その話の後に、私の心が見えたのか、大使が手招きで私を呼ぶので、マハジャンも来てもらって3人で色々な話をした。ラダックの人たちの話になると、大使ももったいないと考えているようで、つい「十日町の雪祭りは、札幌よりも古く、日本の雪祭りの始まりと地元では行っているのですよ」ここによびたいというような事を言ってしまった。

 それからが大変、予算というものがあれば、なんて事はないが、毎年冬にはつぶれそうな美術館なのに、10名の僧と1名の研究者のラダックの人たちの受け入れ、雪が3メートルも積もる時期に実現するには、乗り越える事が多々ある。チラシを作る人や、広告協賛を無理して出してくれた人たち、新潟で、新潟インド文化交流会を設立しようと教授の方々や人々が動いたり、新潟のIT関係と企業と、インド70社のIT企業との出会いをインド大使館で「ITと文化」ということで開催するに至ったこと。あるいは、横浜の生協が持つ、スペース・オルタの協力。東京での実現に向けて、宿泊を協力してくれた、東鷲宮小学校の校長と自治会のスペースを宿泊に協力してくれた市議や、老人会。

 現実的に昨日、その小学校では500名以上の子供たちと昼食の食事を作ってくれたPTAの女性たち、見に来られた父兄を前にして、彼らはリラックスし一番良い踊りを踊った。短いマントラ「真言」を子供たちに教えたり、不思議なワークショップが行われた。つまり、本当に多くの人々が協力してくれないと、実現は不可能だった。

 そのワークショップで、踊る人たちが着替えている10分間、隣にいた長老の巻き髪をほどいてもらい、その意味について子供たちに話した。ほどいてみるとそれ程長くはなく、3年ずつの祈願と修行の為に、6年間髪を切っていないと言うことだった。私の後ろに束ねている髪もほどいて、「これは高校二年から切っていないことを話した。(ベトナム戦争が終わるまで切らないと言っていたが、戦争が終わっても他に戦争が続いているので、今日に至った話をした。床屋さんには悪いけれども。)

 「いつお坊さんになったのですか?」と聞くと、「9才の時から」という答えが返ってきた。「ここに9才の子供たちはどのくらいいるのかな?」するとある学年がみんな手を挙げた。その時から修行に入って、今64才。子供たちに驚きと動揺の声がでる。校長先生はその後の職員との話し合いの中で、この話をもう一度子供たちに聞かせて、「こういう人が世の中にいるんだ」と言うことを再確認する機会を設けるようにと先生方にお話しされたようだ。公演終了後、校長とワークショップについて話したときに、私が印象に残ったことをいくつか話した。その直後校長はその話を教育に生かそうとされたようだ。その学校の子供たちは、良い機会をもらったなと思った。

 2月6日、羽田に札幌から着いた彼らは、夜の10時だというのに食事はまだだった。「えっ?」という出来事だった。多分、短い中出来るだけ交流の機会を設けたのだろう。私は美術館から彼らと直接話し、色々とスタッフに指示をした。山の道は氷っていた。スタットレスタイヤにか換えてあったが、25人乗りのマイクロバスはチェーンを巻いても上がることは不可能。その日は、東鷲宮の方に泊めて頂いた。

 翌7日、昼過ぎに十日町に到着。彼らが泊まる予定の元教員住宅は道が除雪していなく、圧雪の雪道を歩かなければならない。雪が入らないようなゴムのカバーが付いている長靴を11個買った。衣服を確かめると、雪で濡れてしまうような伝統の服だ。部屋のストーブではなかなか乾かない。長靴を買っている間に、私は町に下りていった。ベンチコートを全員に買おうとしたが、安いものを買わなければならない、そこそこの暖かさも欲しい。既に時期は春物に移っていて、目指したお店には1・2個しかない。結局彼らを連れて、店から店に歩いていく。初めて見る日本の世界に彼らは喜んでいたがこちらは大変だ。余分な支出は出せない状況。しかし決断しなければ、大変なことになる。風邪を引けば更に大変なことに。雪はどんどん降る。来る前、忙しい中でも雪堀りを終えたが、既にもう掘ってもいいような積もり具合。公演どころではない現実が目の前にある。自然界に住むと、先が見えない事が多い。

 現実的には、一番大事なこと、つまり彼らの踊りにどんな意味があり、どんな文化の背景が踊りと音楽に表されているのか、送られてきている資料には、それを読んでも、余り解らない。それらを彼らから引き出すためには、だれにでも出来るというわけでもない。私には時間が無く、出来ない。

 13日、インド大使館での交流会の前、昼に大使が公邸に全員を招待してくれた。運転として協力しているスタッフまで招待された。私が後からそこに行ったときは、シャックリが始まってしまい、話している間も大使が気遣って水をとマハジャンに指示をする。彼も飲め飲めと言うのだが、話も大事で、ずっとシャックリをしながら大使と話していた。

 公邸を離れ、ちょうど高木盆栽美術館で器のコンテストが行われていたので、そこを訪れた。その後、熱が上がってきて薬局に行き、体温計を買って計ると39度2分。医者に行く時間もない。止まらないシャックリ。ITの会合が行われた2時間後、彼らの踊りを紹介をするときには、マスクをとって、新潟のIT関係者を紹介したり、今回の目的であった「ナマステ・インディア」で今までインドIT企業70社は1社たりとも広告をくれなかったことなどを話した。今度は文化側がIT関係に協力しているので、文化にも協力をとアピールさせてもらった。

 交流会で知人のお坊さんから「死んでしまうんじゃない?」と言われて、はっとした。そして、人を避けて人のいなくなったホールの方で休むようにしていた。

 翌日の横浜公演は、また同じ熱が上がり、解説の時間の時だけ現場になんとか行き、それなりな話をして、私はそのまま、車で十日町に戻った。途中どうなるかと思ったが、無事戻れた。次の日、日曜日だったが急患で病院で見てもらうと「インフルエンザ」だった。5日間薬を飲み続けるように医者からいわれ、病院には絶対に来ないように(他の人に移したら大変だから)言われた。

 横浜で私が去った後、会場からいくつか質問が出て、その中の良い質問と彼らの答えが参加した知人からメールで送られてきた。3メートル近いトランペットは寝ている神様を起こし、呼ぶために吹かれる。解説で出来るだけ3500メートルの標高のイメージを見る人に伝えるように心がけていた。小さなトランペットは、竹の一枚リードであったが、それは楽しさや明るさを演出するものだという。ラダックのリーダーの彼ではなかなか興味あるとこを引き出すことが出来ない。今回来た、年をとっている僧侶たちに色々と聞かないと無理そうだ。最後のチャンスだった帰国前日も時間が取れなかった。

 彼らのうち7名は卵も食べないベジタリアン。ベジタリアンである私にとっては大変、楽な人たちで、他の所にも書いたが、雪堀りも手伝ってくれた。いままで色々なグループをプロデュースしたが、こんなに楽だったことはない。何か不思議と共通したものも感じられる。今回はもったいないからと言うことで、色々な不手際がいつも以上にあった。許して頂けたらと思う。今、もう一度彼らを呼べないものかと思っている。ある意味で、精神的な文化を持つ集団が、日本には必要なんだろうと、感じている。


◆チラシ◆

*公演のチラシはこちらからご覧下さい*

2月11日 新潟・万代シルバーホテル

2月14日 横浜・スペース・オルタ

2月21日/22日 新潟・十日町雪祭り

  
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