ミティラー美術館、および NPO法人日印交流を盛り上げる会は
日印の文化交流に関して様々な活動を展開しています。 |
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【 ↓2002年/ダーガル・ヴァーニー音楽公演の記録↓】 |
ダーガル・ヴァ−ニー・インド古典音楽公演 平成14年10月〜11月 |
平成14年は、日印国交樹立50周年という記念すべき年に当たり、日印両国政府により各地における記念事業が検討されました。盛り上げる会では、日印の国交樹立50周年を記念し、インド文化庁ICCR派遣のインド超古典音楽ダーガル家を招聘し、ナマステ・インディア、横浜インドフェスティバル、埼玉インドフェスティバル等のフェスティバルで公演する事になりました。この企画は、インド大使館およびインド文化庁ICCRの全面的な支援を受けて可能となりました。 |
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★ホット情報★
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*11月4日* |
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11月2日は横浜西公会堂で公演が行われました。ドゥルパドを初めて聞く人も、ワシフディン・ダーガルさんの声の深さに吸い込まれていく感じでした。普段私たちの周りにある音楽からは想像もつかない音楽。後半はワシフさんがリズムの型を話して下さったので、たくさんの人が手や足でリズムを刻みながら聴いていました。極限の静かさと極限の迫力をもった、真に強い音は人々を魅了しました。また今回はアンコールが出た程でした。アンコールの曲は12拍の少し難しいリズムでしたが、前回同様皆さんリズムをとっていました。横浜という、歴史的にもインドとの関係の深い都市で、このような公演が開催されたこと、そして難しいドゥルパドの世界に興味を持ってくださった事を嬉しく思います。 |
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*10月30日* |
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ダーガルのグループはやはりナマステ・インディアでのメインとしての、迫力、凄み、深さ、格調、真の強さと優しさを本質的に持つ音楽でした。ナマステ・インディアでは35分程度の公演でしたが、インド大使始め聞いた人には深い感動を与えました。 埼玉の「インドフェアin彩のくにさいたま」では演奏のための1時間半の時間が三日間取られています。ただ、夕方の時間帯なので、寒さの問題をどうしようかと主催者は悩んでいます。 11月19日の帰国ですが、前日浦和の延命寺でお別れのコンサートが開かれることになりました。一般参加可能です。 ナマステ・インディアを終えてミティラー美術館にやってきた彼らは、月見邸に宿泊しています。翌朝29日、障子戸を開けると雪が降っているので、みんな感激したそうです。文化的に深い人たちで、いつも何処かから喜びをみつけています。 |
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*back number*
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★インド古典音楽ダーガル・ヴァーニー★
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インドの超古典音楽ドゥルパドのダーガル家は、600年以上にわたる日本の能・観世家、バッハ家と並ぶ世界の三大古典音楽家系の一つとされています。国立劇場で行われた’88インド祭の開会式には、当時のインド・ラジブ・ガンジー首相ご夫妻、竹下登首相、中曽根前首相他の方々が出席して行われました。その記念アトラクションのためにダーガル兄弟(ワシフディンの父と叔父)がインドを代表する音楽家として舞台に登場しました。 ドゥルパドは、本来は寺院においてシヴァ、ガネーシャ、ラーマ、クリシュナといったヒンドゥの神々を称えるため朗誦されてきました。歌い手を媒介として神の領域に至るための道であったと言えます。ヴォーカルは言葉の発音には気を使い、歯・舌・唇・口蓋の使い方に注意して発音します。楽曲の始まりは非常にゆっくりとラーガの表情を表現します。楽曲が進むにつれて、次第に一定のテンポを刻み高度な発声法を駆使しつつ表現を発展していきます。 あらゆる音楽は大衆との迎合によって時代と共に変遷してきましたが、ダーガルのドゥルパド様式は、今日まで厳格な構造を保ち、音楽を通して神と一となる方法論が微細な所までその哲学に貫かれている本質が今日まで継承され、非常に深い世界を聴く者に提示しています。 |
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★ドゥルパドに使う楽器★
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タンブーラ(Tambura)
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4〜6弦の弦楽器で、インド古典音楽の伴奏には必ず使われます。楽曲の始まりから終わりまで、主音・福主音を常に鳴らし続けることにより、演奏者や聴衆に楽曲の基音を提示する。日本の雅楽での笙の機能に似ています。 | ||
★ドゥルパドに使う楽器★
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パッカワージ(Pakhawaj)
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4北インドに伝わる長胴型の両面太鼓です。高温面と低温面からなり、それぞれ、打つ場所により様々な音色を出す事ができます。最も良い音がでる古い楽器パッカワージは、決してボーカルと競争することがありません。 | ||
★公演日程★
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