この作品は各地の展覧会で人々を魅了してきた。絵画としての良さに加え、彼らのコスモロジーというのだろうか、道祖神のような石ころに目をつけていたり、晴れの日の朝、親族だろうか、祠で祈っている。その後に結婚式のために馬に乗った村を見守る見えない神が描かれている。ジブヤさんの村に行くと絵に描かれたように、聖なる場には石ころが置いてある。その石に目をつけるジブヤさんの心を我々は探ろうとする。大池の森と隣村との境にある道祖神もかつて目をもって存在していたのだろうか。
昨日、四人の学生らしき若者が美術館を訪れた。廊下に粗雑に置いてある展示品、竹の弓の値段はいくらかと尋ねるのでスタッフは困って、私の所にきた。こういう話は結構めんどうだ。売るために置いている訳でもないし、といってここにわざわざ訪れる人は年間1500人、手渡せるものがあれば協力したい気もある。館を維持することもままならない。とにかく、そこに行くと若い学生達だった。なにやら真剣に見ている。急にそれが何なのか思い出すことができない。昨年、招待したミゾラムの人々がくれた直径5?ぐらいの竹で作られた弓の形の罠だった。そのことを言うとあまりに驚いているので、近くにあったアルナチャルプラデーシュから来たグループから貰った、もう一つの弓の形をした罠(ねずみ取り)を見せた。そうしたら、竹を編んだ弦が切れた。心配そうな顔をしているので、またインドの山住みの人達が来た時に直してもらうからと言った後、パプアニューギニアの太鼓(スリットドラム)を叩いたのかと聞くと、首を横にふるので太鼓を教えることにした。一人が叩くとこに(すり切れている)太い棒を軽く持って私の音に合わせて叩く。セピック川中上流域のクォマ族を10名招待したときにサモア島から輸入した現地と同じ材質のガラムトを名古屋港の近くまで行って手に入れた直径1メートル30ぐらいの大木を彫ったものだ。彼らの文化には旧石器時代的なところがあって(当時、現地を調査している専門家達と話していると私たちの感性で予測して調査するとほとんどはずれしまい、その異なりの距離に旧石器という言葉が出ている)、新石器時代の末裔である我々とは違う。彼らの文化は少し前まで丸い石を道具としていたように鋭利な石を使う、より効率や技術を高めようとする我々、新石器時代の末裔とは異なることを話して、太鼓と踊りは彼らが栽培するヤム芋の先のように丸くなくてはいけないといって、太鼓を教えた。途中、また元に戻るかのように鋭くしようとするので、丸い状態で打つようにと音を止めて注意する。打つ体が踊るように、柔らかく動かしながらと言うと真似ている。その後、熊の動きを真似してみせた。不確定な丸い動き、人間に飼われた犬になると違うだろうと、犬の動きも見せた。同じようにオランウータンは我々に真似られないような動きをする。オランウータンの真似までして見せた。より、動物、自然に近い動きが旧石器時代と言って教えていくと、自分を形づくる社会や今の本人の
この絵のジブヤ・ソーマ・マーシェの一つ一つの線の動きは、より古い時代の、あるいはより古い時代でしか描けない線を持っている。他の描き手たちにはもう書けなくなっている。
(絵に描かれた細かな内容はワルリー画の図録に詳しく掲載しています。)
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