99.4.24 |
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この地に暮らしてもう28年になろうとしている。先日お庚申さまの集まりで、誰かが自分より長く十日町に暮らしているとびっくりしている人がいた。学校を卒業して都会に出て、数十年暮らしてから地元に戻っている方だ。 ここの場所、十日町市の大池という森を語る時、雪を無くしては語れない所だ。多い時は6メーターを超えたこともあった。村に雪崩が起きて何軒も集団離村ということもあった。私が入った頃は、町までは冬は歩かなければいけなかった。2時間以上歩いてビール数本背負って雪道を上る途中、雪が降り出し、歩くのも大変になり、どうせ飲むのだからと途中で飲んでしまったこともあった。 これから話すお話は、2年前、かつて屋号、丸久と呼ばれていた家の雪掘りを午後がらやることになっていた日の出来事。 |
連日の雪掘りで、というのは元大池小学校と元教員住宅、購入をさせてもらった池田屋、七郎さんの家、丸久、彦七の家の他に、道坂さんの倉庫を次郎新さんが亡くなった後、美術館の収蔵庫として少し改修して使用しているので、すべて屋根の雪を降ろして一巡するにはとても大変だ。これだけの雪掘りを、その建物を使う者が掘っていく、という意味では、雪が最も降る魚沼地方でも一番ではないだろうか。ギネスブックに載ってもいいのではと考えることもある。 |
12時くらいから出ていって、まだ戻らない。既に私は食事をして、体をストーブの側で休めている。どうなっているんだろう。彼女なら雪の中で足を取られて動けないというようなことはないだろう。そんな考えを忘れさすように、雪掘りの忙しい中、都会から電話が次々にかかる。4時近くなってしまっただろうか。玄関の戸がバタンと大きな音がして彼女が帰ってきた。 髪の毛はビショビショで凍りついたようで、顔も真っ赤で、手も冷たく、疲労困ぱいしている。おなかが冷えたのでもうやめるわ、と言って急いで濡れた雪だらけの防寒着を脱ぐ彼女。尋ねると、少し藪の中に入り始めたが、とても歩くことができないし、梯子が要ることが分かって、まず近くの家に梯子があるので取りに行った。その梯子を雪の上に投げかけて梯子をたぐり寄せて、また先の方へ放り投げ、梯子の上に這い上がって、、、、同じようにしながら家まで辿り着き、何とか梯子をかけ屋根に上がった。それから屋根の高い所の雪を降ろせるだけ降ろしたそうだ。 彼女は大人並みにスノーダンプを使って雪掘りをやることができる。私は下町の生まれのせいか、言葉で誉めるということは殆どしない。これは私のキャラクターだと思うが、落語などでもよく出てくるキャラクターに似ているところがある。しかし、この彼女のその日の行動は私を感動させた。今の現代生活でこのような雪の状況の中で、スノーダンプ片手に大雪の一軒家の屋根に挑んで屋根に上がり、降ろす高校一年生の少女がこの世にいるのだろうか。 |
きっとどこかにいるのに違いないだろう、やろうとすれば誰でも出来るのかもしれない。あるいは小さい時から屋根の上で親の雪掘りを見たり、手伝ってきたからだろう。雪掘りというとよく雪屋根の頂上にあがるのが好きな子供だった。 |
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