「2005年3月3日」

長谷川 時夫

 大池は久々の雪となりました。19年ぶりの豪雪。私がここに36年前に来てから、何回かの記録に残る豪雪があった。しかし、19年も間が空くというのは・・・それだけに小雪が続き、暖冬、異常気象、地球温暖化など、さまざまな表現で言われてきた。19年は長く、いつの間にか小雪を基準とした生活になっていた。以前は4メーターをゆうに越える積雪で。元小学校だった美術館の雪掘りは子供や女性の手伝いなど考えられないほど当時は厳しいもので、隣村の赤倉の村落に暮らしている人たちを頼んで5人から7人くらいで掘ってきた。しかも、年に普通の家で8回以上掘るところを4回ほどで掘る。特に記録的な大雪の時はそれぞれが自分の家を掘るだけでも大変で、一通り終わる頃に呼びかけて、何人かが無理してやってきてくれる。それだけに何日も雪掘りにかかった。
 「宇宙の森へようこそ」に書いたことがあったと思うが、1ヶ月近く太陽が出ない冬。雪が続き、学校の雪屋根 の上で三段掘りをしていた時(下を掘る人、中段を掘る人、上段を掘る人)、屋根の雪の上にはスコップをかざし、ジャンプしても届かない雪となっていた。そのような時、突然雪空から太陽が一瞬、顔を出したとき、「お天と様が出てきたこっぞ」と言って、菅笠をかぶっているみんなはスコップを杖に、空を眺めた。私も月を眺めることが生活に溶け込んでいるが、このときばかりは言いようのない、宇宙からやってきた太陽を不思議な気持ちで見ていた。
 小雪となって、しだいにスタッフだけ、あるいは数人の人に協力のお願いする程度で美術館と他の6軒の家の雪掘りを何とか毎年こなしてきた。その意味で今年の1月11日から今に至るまで降り続く雪、特に1月後半と2月初めの2つのピークは昔の雪を思い起こさせた。しかし、雪の掘り手に人はいない。近所の人に頼まれてなど、とても来てられないという。
 2回目のピークの時に美術館の体育館の屋根を2人の若手とユンボで1日で掘った。4メーター近い体育館の屋根を越える雪を固めながら、ユンボのキャタピラが屋根に触れるぎりぎりまで近寄り、雪を下ろしていく。とよ(雪を流す滑り台)を2つ使ってユンボの届かないところを2人が下ろす。次から次にとよに流す雪もつかえ動かなくなったり、落ちた雪がたまってつかえたりする。それらをいちいち屋根の上から下の方へ雪屋根を歩き、とよにたまっている雪を流すのは、リズムの違うことをやることで仕事そのものは楽で簡単でも疲れきった体では非常に疲れる。そこで、その場に近寄りユンボで雪を流したり、たまらないように掘ったり、あるいは彼らが下ろした雪が屋根の中央にたまっていくような場合(屋根が広いので、屋根下に飛ばすことが出来ない)、それを重機の手を伸ばし取る。いったん雪をスノーダンプで切り飛ばして、崩れた雪をそこまで行き動かすのはより疲労する。機械と人間が色々な意味で可能な労力を出し切って、体育館の屋根を覆う3メーター近い雪を1日、2人で奇跡的に掘ることができた。といっても次の日には2人は疲れて切っていて、美術館本館の雪掘りのための準備と
水道関係の仕事ぐらいしかできなかった。それでも今、屋根には60センチ程度の雪がのっているだけ、なんとか今年の雪ものり越えられそうだ。






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