「2004年11月10日」

長谷川 時夫

 
 昨日(11月10日)、大池に最も近い月見亭から見る池面に大きな鯉が2,3匹上がってきた。余震も落ち着いてきているせいかなと思われる。今まで彼らはどこに行っていたのだろうか。

 朝6時ぐらいに目が覚め、避難している月見亭の一日が始まる。戸を開け、月見台に立って池を見たり、届けられた新聞に目を通したり、室内アンテナで二重三重となっている画面のテレビのニュースを見たりする。9時に併せて、美術館にシルバーの首輪を解いて向かう。待ち構えていたように、彼はマーキングをしながらこちらの方を見てはあちらこちらに行く。あっという間に池の外れまで行くが、グランドの辺りを歩いているとまた戻ってきて、私の動きを見ながら常に影となってついてくる。ユンボを動かして美術館の裏の元中学校の敷地に登る辺りを少しずつ崩して、美術館への駐車場へ上る道や駐車場にできた60センチの段差、長い亀裂を埋めるための作業を始めると、共にやってきて、遅いユンボの後ろや前を歩く。市からもらった土嚢袋にゴルカナさんとサダシさん、佐藤君らが土をつめていると一緒になって土を掘る。その土がワルリーの人たちに当たるのでユンボから降りて奥の方を掘るようにシルバーに伝えると掘り始めた。

 機械から降りて歩き始めるとやることが次から次にあり、どこから始めていいか分からない状態。台所の後ろの方のガラス戸を含め、2箇所の戸が外に投げ出された状態。それを立てかけたり、ガラスが割れてはいるが透明ビニールテープを張ればさしあたり使い物になりそうなものは、落ちたガラスも割れないように木に立てかけたりした。昨夜の風でその戸が倒れ、一枚は下に石があったため割れてしまった。ちょっとしたことで後の復旧が楽になることが多々あるがあまりに多いので難しい。
 過疎となっているこの部落は、かつて24戸ほどの家が存在した。渋柿がいくつもなっている。それをさわし柿にしたり、干し柿にしたりしようとすると限りなくあるので、限られた時間でどの程度干し柿にすればいいのかというように、迷うことが多々ある。比較にならないが現在の状況も似ている。

 市からもらった10メートル四方のシート3枚を使って、破壊された道と駐車場スペースを土と砂利でならした後、土中に雨がしみこまないように土嚢を積んでカバーをした。ダンプカーをリースして借りて、土を盛りユンボで固めたり、砂利を撒いたがまだ傾斜があり、このままでは弱い崖の近くに雨水が流れていくので、明日もう一度ダンプを借りて土を盛り安全なほうに降った雨水が流れていくようにしなければいけない。
 
 昼食や夕食に戻るため月見亭に戻る。犬がなかなか戻ってこないときは犬が町まで行かないように迎えに行かなければいけない。美術館によって、他の事を片付け、探しに町の方へ行こうと思っていたら、車の前にやってきた。犬(シルバー)にとっては、一緒に行動が丸一日できて、それが何日も続くので幸せそうだ。




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