「2004年9月」

長谷川 時夫

 
 今日、隣町の川西から元宮司の長谷川氏が「もうここに来るのも最後だ」と言われながら、奥様と父の介護のために戻った息子さんとやってきた。首に保護具を巻き、なおかつ腹に機械が入っているようだが、いったん話し始めると、日本のことを、戦前を通したアジアのことを語る。80をかなり超えたこの人との出会いが、このミティラー美術館が生まれた理由であるといえる。池を中心とした開発プランに反対の活動を始めたが、とても相手にしてくれるような状況では、当時なかった。その時、確か小さな車だったと思ったが八キロの山を上がってきては色んな人を紹介してくれたり、市長に会いに行って、意見を言ったり、この隣町の神主さんが色々と現地(十日町)と取り合ってくれた。私は体を気遣いながらここの現状を説明したりした。帰りに車を見送ったが途中で止まったのは、やはり二度と来れない場所だと思い止ったのだろう。ガンガー・デーヴィーとの出会いもそうだった。本当に考えられないくらい多くの人々の協力によってこの美術館があることを感じる。
 
 ゴティプアの若い舞踊団がグランドでクリケットを始めた。先日の「新潟総踊り」の会場でいくつか参加した後、夜8,9時だというのに長岡のバッティングセンターに連れて行った。結局、一人が二千円以上使うぐらい奪い合うようにバッティングをやり、手にまめを作り、それが破けるほど、踊りの時には見せない少年の顔がそこにあった。皆を集めて140キロの打席の所へ行き、それぞれが7球ずつ勝負した。私は半年前に痛めた右肩が不具合だがなんとか打つことができた。

 次から次のスケジュールをこなす合間にこの大池の自然が安らぎを与えてくれる。外ではボール遊びの次にハスキー犬のシルバーにマフラーを取らせては走らせ、次のマフラーを高く投げ、そこに犬が向かったすきに前のマフラーを取る。大きな犬を恐れながらも犬と遊んでいる、ゴティプアの少年。




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