「歯を出して楽しむ赤倉オランウータン」
   (赤倉小学校PTA副会長をつとめる館長が学校誌に掲載した文章)

長谷川 時夫

 先日、赤倉の雪上運動会が開かれた時に講評をということでお話しました。いつも話がのんびりと長いので、話す前から、「短めに」「簡単に」とかユーモアのある「ちゃち」が入るのですが、その時に即興で(いつもそうですが)話した内容について、市内親善クロカン大会の反省会を町でやった時に、よかった、違う角度から物を見ることを教えられた、胸がスーとした、とくに「下界では」という話しの時に、という声を聞いたので、そのことを少し書いてみようと思います。

 下界では、雪祭りが日本で一番古いとか、何万人来たとかやかましいことを言っているようだけど、ここ赤倉では何百年も前から雪の中で様々な儀礼が行われてきた。周りに見えるこの美しく厳しい自然を、人を大事に協力しながら暮らす文化を育んできた。全校生徒5名、そのうち3名が風邪で欠席、2名の子どもがする運動会なのにこれだけの村の人々が‥‥‥、数日前テレビで見たけれども、オランウータンが喜ぶとき歯をむき出すように、皆が歯を何度も出して楽しそうに笑っている。参加できなかった子どももふとんの中で、きっと声援を送ったり、この運動会を見守っているだろう。運動会というよりは、神楽そのもの、神楽と同じようなものではないかと思います。こんなようなことをお話したように思う。

 下界という言葉を使ったのには、いくつかの意味がありました。一つはユーモア。二つめは、町の雪祭りのように経済と結びつくことがないということ、たくさんの人を呼んで、集めて、町の経済の起爆の一つとするとか、もちろんそういうことはあってもいいんですが、そのことが祭りの大きな役割になっていないこと、宣伝とか。三つめは、生き物が自然と厳しく向かい合って自然の懐に抱かれるように生きているような、本当の意味で森に住む人々の楽しみの一つというような、四つめは生き物と同じように子は育ち、そこに年老いた人や壮年、青年が、一緒に参加している、それぞれに役割がある行事。「人恋しい森の空間」という世界、その空間を「宇宙の森」と呼んでみたい。この四番目は、私自身がここに住む、あるいは住みたいという、あるいは住んでいる理由なんだろうけど、雪上運動会という一コマだが、さいの神を祀る時と同じようにしてしまうところに赤倉の培われてきた伝統の魅力と現代に失ってきた本質的な良さがあると思う。



(c) Copyright Mithila Museum. All rights reserved.